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2006年05月16日 小諸城2

20060516-1.jpg

小諸城天守閣跡の桜(H18/4/21撮影)
昨日の続き。
 仙石秀久の治世はどうだったのでしょうか。
 下記文献を要約すると「領地5万石、在城24年(1591〜1614)、1614年没、1596年小諸城下町と城内の用水路開削、1597年芦田新町をつくる、1600年関ヶ原の役に居城小諸で北国筋鎮撫(ちんぶ)を命じられる。1602年中山道笠取垰に松並木を植える。前年度から徳川家康、信濃の検知を行う。宿場町整備。1604年幕府の命で東山(中山)・北陸の諸街道を修理し、20余の一里塚を築く。1610年小諸城の築城と整備、城下町づくり、街路の整備、一里塚の築造、松木の管理、伝馬の制度など、秀久の過酷な課役によって次の資料(注)が示す「苛政(かせい)虎よりはげし」となり、佐久郡は一郡逃散のピークを迎える。
1611年宿駅伝馬制を制定。1612年領内相木山で金鉱掘らせる。南相木など御巣鷹山作る。1614年江戸から小諸へ帰る途中発病武州鴻の巣で逝去」
(注)吉沢清右衛門編「四隣譚薮・巻の一」
「里まみれに人すくなく田地すたれて荒原となる。神社仏閣、立てながら朽て、狐ふしとを得たり。・・・・苛政(過酷な政治)虎よりはげし(激しい)。昼はひねもす(一日中)役せられ、寒夜といえども、千曲川の砂石をはこひて、山林こつこつたる城郭成る。・・・・」小諸市立図書館蔵書

 あまり、治世はうまくいってなかったようですが、笠取垰、小諸城及び城下町を現在のようにしたのは彼の功績でしょう。
 息子である忠政(ただまさ,徳川秀忠から忠の字を賜っている)は、1615年一郡逃散の百姓を帰村。そして、大阪の陣、夏の陣で戦功をあげ1万石加増(6万石)され上田城へ移封。
 親子併せて32年間、詳しくは下記文献のほか小諸市立図書館で「仙石騒動」や「改選仙石家譜2/3/4」などの書籍(仙石家文献多数)を借りることができます。
小諸市立図書館
http://www.city.komoro.nagano.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&WIT_oid=icityv2::Contents::1717
引用・参考文献:編集者・発行者 塩川友衛「信州小諸城下町と北国街道小諸宿」信毎書籍出版センター 

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