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2006年06月20日 マユミ

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中野市柳沢の中野市指定天然記念物マユミの木。
 案内看板によれば「マユミは普通低木とされるが、この木は目通り2.32m、樹高約7.6mあり、・・稀にみる巨木である。」
推定樹齢は書いてありませんでしたが相当老樹のような感じ、まだまだがんばっています。
 マユミはどういう木でしょうか。フリー百科事典ウィキペディアによれば以下のとおり。
「成長は早い。若木のうちに樹形の骨格をつくり、分枝させたら、その後の強い剪定は避ける。切り詰めすぎると花と果実がつかない。根が浅く、根元が乾燥しすぎると弱り、果実が落ちる。水分条件さえよければ剛健で、病害虫はあまり発生しない。実がかなり遅くまで残るので、秋と冬にはヒヨドリやメジロが食べにくる。材質が強いうえによくしなる為、古来より弓の材料として知られ、名前の由来になった。この木で作られた弓のことや、単なる弓の美称も真弓という。和紙の材料にもなったが、楮にとって代わられた。現在では印鑑や櫛の材料になっている。」
 弓の材料に使われていたのですね。高校時代、私は弓道部に所属し、当時(昭和52〜55年)はグラスやカーボンファイバーが主流。マユミの弓材はなかったような気がします。
 下記文献(図説日本合戦武具事典)によれば弓材として「あずさ、まゆみ、つき、つげ、はぜ等」があげられ、まゆみは万葉集の時代すでにあるので日本古来からの木のようです。
 ところで現在の弓と戦国時代の弓の大きく違う点は何でしょうか。それは強さにあると思います。現在の弓道は江戸時代に広まった形を重視する世界、戦乱の時代は強度。
 下記文献(武器と防具日本編)によれば「現代の弓道の初級者用の弱い弓で10〜15kgです。それに対して当時の武士たちが用いた長弓(220cm前後)は、40〜70kgくらいはありました。そのうち馬上の弓は40〜50kgくらい。」と説明。この当時とは南北朝時代。
 時代劇を見てますと、源平合戦や戦国時代に弓を現在のように耳近くまで引いているシーンを見かけますが40〜50kgの弓でしたらそれは極めて困難?
 この時代、数多く放さなければなりませんからそこまで引く意味がありませんし、アーチェリーのように口付近まで引くだけで十分でしょう。
 戦乱の時代、源義経のエピソード(注)もあるくらい弓の強度にはこだわったのかもしれません。
 ただ、源平合戦(屋島の戦い)で那須与一が射るのは遠矢(遠的)ですので耳まで引いたのかもしれません。このへんの時代考証は見た目も大事でしょうから。
私は弓道部に在籍中、矢を放す前にいったん動作を止める作法ができず、すぐに放してしまう病気(早気)に悩まされました。今となってはいい思い出。戦乱の時代ではそのほうが逆によかったのかもしれません。

(注)同上百科事典によると「1185年屋島の戦いにおいて義経が海に落とした弓を敵の攻撃の中で拾い上げて帰り「こんな弱い弓を敵に拾われて、これが源氏の大将の弓かと嘲られては末代までの恥辱だ」と語った「弓流し」のエピソードはこの際のことである。」
文献:笹間良彦著「図説日本合戦武具事典」柏書房、戸田勝成著「武器と防具日本編」新紀元社

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