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2006年07月06日 興隆寺

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山ノ内町佐野にある山沿いの興隆寺(曹洞宗)。
 高い石垣と参道沿い杉並木(約60本、町天然記念物、写真には写ってません)が風情を醸し出しています。この杉並木は、この寺で修行して住職となりのち曹洞宗管長(代表者)となった名僧畔上楳仙(あぜがみばいせん)が植えたもの。
 この寺で1865年に真田幸貫公と佐久間象山の法事(大正12年に60回忌も)が行われました。本来松代城下でおこなうべきでしょうが1864年象山が暗殺され、その知行・家屋敷とも没収されたため妻子は江戸へ去ってしまい城下では法事など行う状況ではなかったようです。そこで、象山が藩の利用係をしていた時代に山ノ内町佐野(元和8年に松代領)と関係が深かったこともあり、この興隆寺でおこなわれました。当時、象山から恩顧を受けた多くの地元人が参加したそうです。ちなみに象山の奥さんは勝海舟の妹、門弟に吉田松陰、小林虎三郎、勝海舟、河井継之助、坂本龍馬、橋本左内、加藤弘之ら。
 佐久間象山のあまり知られていない話?をちょっと。
 百科事典ウィキペディアによれば「教育にも情熱を傾け、多くの弟子を育成した。一方でその性格のために多くの敵も作っていた。・・・象山が傲慢であったのは有名な話で、その態度は誰に対しても変わることはなかった。これほどの才能を有しながら当時より現在の歴史学者においてまで評価が低いのは、そのためともいわれる」と説明。
 暗殺となるとその取扱いは厳しいため実質的に暗殺されたのに病死扱いの例が多いようです。「安政の大獄」の井伊直弼のように。それにしても当時の佐久間家はたいへんだったでしょう、ほかの宗派(注)の寺で法事をおこなうのですから。
 ところでこの寺は、松代領地内であったこともあり松代藩主が2回宿泊しています。江戸時代、殿様が泊まる宿は本陣や脇(副)本陣。ではその前の時代はどういう所に泊まったのでしょうか。今みたいに旅が自由にできず貨幣の流通さえままならない時代、格式のある旅籠や宿屋もなかったでしょうし。
 織田信長が泊まった本能寺や源頼朝の怒りをかって鎌倉に入れなかった源義経の逗留した満福寺(神奈川県)等、当時はお寺が多かったようですね。
 また、伝承によれば源頼朝は善光寺に参拝するとき、長野市中御所の豪族(漆田氏)の館に宿泊したと伝えられています。豪族クラスの武家屋敷ともなれば部屋数は多く警護対策も万全でしょうから安心して泊まれたのでしょう。用心深い頼朝らしい?
 ただ、一遍上人は善光寺に来るとき野宿もしたとか、武士でない人は特にこだわらなかったようです。
(注)佐久間家の菩提寺は松代町にある蓮乗寺(日蓮宗)、ここに象山とその子恪次郎(元新撰組隊員)の墓が有志の手によって建てられています。
参考文献
信濃毎日新聞社出版社編「信州百寺」信濃毎日新聞社、「探訪・信州の古寺3 禅宗」郷土出版社、松代文化財ボランティアの会編「城下町 松代」ほおずき書籍、傳田重義著「歴史の道 北国街道を歩く」信毎書籍出版センター

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