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2006年07月10日 妙笑寺

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長野市長沼津野の妙笑寺(曹洞宗)にある千曲川洪水水位標(歴代住職が記録)のようす。古いブログ(2005年12月17日)でも赤沼(近く)にある水位標を紹介しました。
 一番ひどかった水害(高すぎて写真には写っていません)は戌の満水(1742)、地表よりの高さ3.38m、長沼地区の戸数の大半が潰れたそうです。二番目は明治29年(1896)、スケールで測ったら1.75m前後、三番目は善光寺大地震(1847年)の1.65m前後。水位標では特に明治時代(明治43・44年も)の水害が目立ちます。
 この明治時代は気候的にどうだったのか少し調べてみました。
 下記文献(両方)によると長野市の降水量経年変化の記録(観測値:長野地方気象台)は以下のとおり。
「1889年(明治22年)〜1994年(平成6年)の約100年における長期傾向をみると、多雨期と少雨期が2回ずつあった。1890年代後半から1920年代までは多雨期が続き、1920年代から1940年代前半までは少雨期となり、その後は再び多雨期に入り1960年代前半まで続くが、なかでも1950年代多雨期が顕著で10年間の平均値が累積平均を100mm近くも上回っている。1960年代後半以降は少雨期に転じ、1987年は年降水量が556.0mmで観測開始以来の小雨極値を記録した。その後、1994年には555.6mmと極値を更新した。」
 この記録を見ると長野市の平均年降水量は938.3mm(30年間平均値)、最大は1900年前半(明治後半)の1300mm程度、二番目は1890年代後半(明治中期)と1950年代の前半(昭和前半)で1300mm弱、三番目が1910年代(明治終わりから大正初期)、1920年代後半、1930年代後半、1940年代後半で1250mm程度。
 明治時代は多雨期、よく雨が降ったのですね。だいたい20〜30年周期で多雨と少雨期が交互に訪れているようです。昭和時代、堤防工事や水害対策の影響もあって水位標に記録するほどの浸水はなかったのでしょう。でも統計上からすると1960年代から少雨期がすでに45年経過、もうそろそろ2000年以降は多雨期に入ってもおかしくないような気が・・・・
 また、長野市の月別降水量(1961〜1990年平均値)で一番多いのが7月、二番目は6月、三番目は9月。統計上9月も雨の月、これは意外でした。
 こういった地方の統計記録や水位標は過去を振り返る上で役に立ちます。
参考文献
長野市誌第八巻、長野地方気象台編「信州の気候百年誌」

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