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2006年07月12日 西厳寺

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長野市長沼大町にある西厳寺(さいごんじ)。
 浄土真宗大谷派、長い歴史を持つ由緒ある寺。江戸時代には寺領10石が与えられています。
 前回のブログと同じくこの寺も1577年大阪石山本願寺に兵糧米73俵拠出。この73俵は、このとき兵糧を送った信濃25か寺の中で第5位とか。
 武田信玄は西厳寺の所領を安堵(本領四十貫)し、上杉軍が攻めてきたら海津城に入ることや越後方面に出兵する時に野伏1人を出すことを命じているそうです。川中島合戦後は、この地域の実権を握った上杉景勝(謙信公の養子)に味方し、景勝の会津移封に従って会津に移った(すぐに環往が許された)とのこと。
 当時の寺もどちらかに味方するかで生死の境にあったのですね。この時代、寺の焼き討ちはよくあったようで、最近まで焼き討ちは織田信長の比叡山だけかと思ってました。それにしても敵が攻めてきたらお坊さんまで避難するとは。今とは感覚が違うようです。
 それにもまして、この寺が有名なのは浄土真宗再興の祖と言われる蓮如上人が2回立ち寄っていること。特に1472年には越後の吉崎から草津温泉へ行く途中2ヶ月間滞在。この寺には蓮如像を安置する蓮如堂があり、毎年4月25日に蓮如忌がおこなわれています。境内には蓮如上人袈裟掛けのイチョウ、教如上人第一女智光院妙空禅尼の墓、小林一茶の門人西島士英の碑などが。
 近くを通る道は北国街道の脇街道、当時は多くの人が往来、小林一茶も江戸へ行くときはここら辺で門弟の家にたびたび泊まったとか。その名残(注)が句碑に残されています。
 また、この寺は千曲川のすぐ脇に位置しているため江戸時代しばしば洪水の被害が。今は高い堤防(7〜8m程度)がその水害の程度を物語ります。すぐ近くにブログで紹介した妙笑寺も。
 歴史のある寺は、その逸話や有名な参拝者を知ると急に親近感が沸いてしまいます。
 ところで蓮如上人とは、百科事典ウィキペディアによれば以下のとおり。
「蓮如(れんにょ、応永22年(1415年) - 明応8年3月25日(1499年5月5日))は室町時代の僧。本願寺第8世。・・・異宗や他派に押されていた浄土真宗本願寺を中興し、現在の礎を築いた。・・・・本願寺8世の蓮如は講と呼ばれる組織を築き、民衆が学び団結できる場を提供し、また親鸞の教えを分かり易くするため短い言葉にまとめて信徒に教える(御文あるいは御文章)などしたため、本願寺は爆発的に発展し、一向宗と呼ばれるようになった」
(注)一茶の弟子10人(長沼十哲という)の句
参考文献
信濃毎日新聞社出版社編「信州百寺」信濃毎日新聞社、「探訪・信州の古寺2 浄土教・日蓮宗」郷土出版社、長野市誌第10巻、離求庵著「善光寺古道を歩く」信濃毎日新聞社出版部

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