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2006年07月27日 鼻見城

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飯綱町芋川にある鼻見城(標高722.7m)山頂からの眺め。この城は旧三水村役場の背後にあり、山頂からの景観がすばらしく昭和62年「長野の自然100選」に選ばれています。
 こういった眺望のいい限定された土地は、土地価格形成要因の中で個別的格差としてプラスになるでしょう。ただ風が強い点(マイナス要因)は別ですが。
 この城は、長野県の奥信濃で室町時代大きな勢力を持っていた芋川氏の初期の構築といわれています。北方に本城である若宮城も。
 城を築いた芋川氏は楠木正成(孫)の系統をもつと言われ、川中島の合戦では上杉方に味方し、上杉景勝会津移封に伴い転出。1627年には米沢城の家老職に。後に上杉鷹山の改革に反対し、切腹を命じられた国家老芋川延親の祖先であることは意外と知られていません。いわゆる七家騒動(1773年7人連署による長文の訴状提出)で2名(芋川,須田)は切腹、その2名が長野県北信濃出身の2名とは知りませんでした。時代劇では悪役ですが米沢では両名とも上杉家の重臣だったわけですから活躍していたのでしょう。文献(三水村誌)によればこの芋川氏が断絶の処分を受けたときの家来の氏に若槻、中牧、長津、関屋、古海、渡部(以上侍分)が見られます。若槻は長野市若槻、古海は信濃町古海、中牧は信州新町中牧それぞれの出身の豪族、特に中牧氏は芋川親正が牧之島城主だった頃に家来となったと推定されています。
 参考までに文献(中世信濃武士意外伝)によれば会津移封に伴って転出した北信濃の武士は以下のとおり。
 高畠城:春日元忠4000石
梁川城:須田長義20000石
 大森城:栗田国時8300石
 宮代城:岩井信能6000石
 塩松東城:山浦景国6500石
 塩松西城:市河房綱6700石
 長沼城:島津忠直7000石
 白河城:芋川正親6000石
 白河城:平林正恒3000石
 伊南城:清野長範11000石
この中で長野市栗田と関係ある栗田家、須坂市を支配としていた須田家等さまざま。栄村・野沢温泉村・木島平村一体を支配していた市河家(私の父の菩提寺と深い関係のある殿様)は最初武田家につき、信玄死後上杉方の味方になるなど戦国時代は生き延びていくのもたいへんだったことでしょう。
 大字には昔の殿様や豪族の名字のついていることが多いので地域の歴史をちょっと調べてみるのも面白いかも?
参考文献
矢野恒雄著「信越国境小史 鳥居川のほとり」ほおずき書籍
長野県立歴史館編「中世信濃武士意外伝 義仲から幸村まで」郷土出版社
長野市誌、三水村誌
<追伸>
都合により8月6日までブログはお休み。また、再会をお楽しみに?

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