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2006年10月12日 千曲川の木流し

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 犀川と千曲川の合流点付近からやや下流にいった長野市落合橋付近。この辺、前回ブログで紹介したサケ漁の盛んだった所。千曲川の勾配が最も小さいので流れが比較的ゆるやか。そのせいもあってか昔、水害に苦しんだ地域でもあり、堤高約8mの内務省堤防(大正7〜昭和16年)がそれを物語っています。
 たまに散策しますが不気味な静けさがあって河川敷を歩くのもなかなかいいものです。
 ところで下記文献(千曲川今昔)によれば江戸時代、千曲川は木流し(川下げ)と呼ばれる木材を川で運搬する方法が実施されていました。有名なのは現在の善光寺本堂、これは1707年に完成したものですがその造営用材の多くは千曲川・犀川を使い木材を筏にし流して運搬されたものです。また、豊臣秀吉で有名な墨俣城(一夜城)も長良川の上流から木材を流し、墨俣で組み上げて城を造ったと言われています。
 川を利用して木材を運搬する方法はごく自然かもしれませんが木流しをすると用水路の堰や橋を破壊したりするので記録上実施されたことは少ないようです。
 ただ、江戸時代、大火事があって城や城下町が焼けると御用林の運搬はたいていこの方法がとられたようです。松代城下や松本城下などで。
 木流しの時期は秋から始まって正月までと定められていたようで下記文献(千曲川今昔)によると「木流しには60人ほどが従事していたといわれるが相当危険な仕事であった。台風の時期を過ぎ、増水の心配がなくなると本格的な木流しが始まる。一連の木流しの作業の中では、役割が決められ、各々の者がこれに従って動いた。流した木材が石につかえて流れなくなったときにこれを取り除く役や、取り除いた者が岸に帰れなくなったときにこれを助ける役、流木の先頭と終わりとの連絡を取る役などが、緊張の続く作業の中でおこなわれた。数十万本にのぼる木が流されるため上高地から松本の堀米の土場までは約40日間かかったという。」と梓川の木流しのようすを紹介。
 川の流れを利用するのもそれなりに技術や計算が必要なようです。
引用・参考文献:国土交通省北陸地方整備局千曲川工事事務所監修「千曲川今昔」社団法人北陸建設弘済会、長野県教育委員会編集・発行「歴史の道調査報告書 千曲川」、市川健夫著「信濃の川旅1千曲川・信濃川」信濃路

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