社長ブログ

ブログ内検索

2006年10月18日 犀川の難所3

20061018-1.jpg

犀川と麻績川の合流地点、麻績川は濁っています。こういった合流地点は通船上の難所。
 江戸時代、千曲川には通船の難所川除け図面があって重宝したようですので犀川にもあったのでしょう。
 ところで、対岸の生坂村は昔、たばこの栽培が盛んだったところ。下記文献によれば「慶長時代(1596〜1614)に照明寺の25世良憲が長崎のポルトガル人からもらい受けた煙草の種を蒔いて煙草栽培の基をつくったといわれている。いわゆる生坂煙草の発祥の地である。慶安4年(1652年)の検地帳に13町歩余のたばこ畑があった。・・・享保時代(1716〜1735)になると松本・安曇・更級・水内方面にまで栽培地域が広まり、生坂煙草の銘柄で全国に知れわたった。・・・江戸時代初中期の藩主水野氏のころは、藩から煙草奉行が来村して、御前煙草として買い上げた。」と記述。煙草奉行がいたなんて面白いですね。
 わたしが子供の頃、煙草栽培畑はよくありました。あの大きな葉が印象的で。今、長野県の収穫面積(H15年生産農業所得統計・農林水産省)132ha、収穫量364t、清内路村や八坂村で多くが栽培されていますが年々減少傾向に。たばこを吸う人が減っているので収穫量も減少せざるをえないでしょう。ちなみに生産量全国1位は宮崎県、2位は熊本県など九州に集中。
 最近、長野県の北部地方には栽培地がほとんど見られませんのでたばこ畑やホップ畑を是非見たいという年配者が多いのもわかります。そのうち見る人で観光地化するかも。
 わたしの祖母は若い頃主人を亡くし煙草だけが唯一の楽しみだったようで、よくキセルで吸っていました。そのうち刻みたばこが無くなったので残念がっていたことが思い出されます。明治33年(1900)に「未成年者喫煙禁止法」が施行される前、祖母の小さい頃は子供も煙草を吸っていたようですから今では信じられません。
JTたばこの歴史と文化:http://www.jti.co.jp/Culture/museum/tabako/index.html
参考サイト:第10回千曲塾・市川塾長
引用・参考文献:長野県教育委員会調査編集「歴史の道調査報告書XXX供〆埓遏

この記事へのコメント

書き込んでいただいたコメントは、管理者の確認後に公開させていただきますので、ご了承下さい。

お名前
E-MAIL(非公開)
URL
タイトル
コメント
  投稿キー    [キー入力]
 
迷惑書き込み防止のために投稿キーを設定しています。
投稿キーはyex2です。上記の「投稿キー」にご記入下さい。