社長ブログ

ブログ内検索

2006年10月29日 信玄堤

20061029-1.jpg

 山梨県にある釜無川堤防のようす。
 10月22・23日と山梨県へ、業界の親睦会に参加。そこで今週は山梨県シリーズ。
 山梨県といえば武田信玄、そこで有名な信玄堤を見学に。期待して行ってみればあれ?。どの辺が信玄堤なのかわからなくちょっとがっかり。考えてみれば当時の堤防が残っているはずもないでしょうけど。ちなみに信玄が築いた堤防の規模や構造は、当時の史料がないため判然としないようです。
 百科事典ウィキペディアによれば「信玄堤(しんげんつつみ)は、山梨県甲斐市にある堤防である。霞堤(かすみてい)。戦国時代に甲斐の守護、戦国大名である武田信玄(晴信)により築かれる。甲斐は土地の大半が山岳地帯であり、国力増強のためには新田開発が必要であり、また大雨による洪水などによる被害も発生していた。信玄ははじめ植林などを行っていたが、釜無川と御勅使川の合流地点(旧竜王町)に堤防を築いて治水を行う。工事は天正10年から永禄3年頃まで、20年以上に渡った。武田氏の土木技術は甲州流とも言われ、信玄堤による治水の成功により各地で応用された。」と説明。
 また、現地の案内看板によると「この堤防だけでは釜無川や御勅使川の洪水を防ぐことはできません。・・・いろいろな施設によって洪水の流れを調整しています。特に御勅使川の洪水の流れをたくみにコントロールしていることが大きな特徴です。
 ・御勅使川の流れを上流の「石積出し」で北側へはねます。
 ・このはねた流れを2つの「将棋頭」で受け止めます。
 ・次に河岸段丘を切り開いた「堀切」で御勅使川の洪水の流れを「高岩」へ導き、その勢いを弱めています。
 ・弱まった流れをこの「信玄堤」がしっかり受け止めているのです。」

 図がないと読んだだけではわかりにくいでしょうが、川筋を変え各種施設を組み合わせて洪水を防いでいたのですね。考えたものです。これだけ広い川だと、ただの高い堤防を築いても洪水時に崩れるのは目に見えているでしょうから。
 治水工事の名人と言われる人たちは、名を後世に残すのもわかります。
参考文献:新・歴史群像シリーズ「闘神武田信玄」株式会社学習研究社

この記事へのコメント

書き込んでいただいたコメントは、管理者の確認後に公開させていただきますので、ご了承下さい。

お名前
E-MAIL(非公開)
URL
タイトル
コメント
  投稿キー    [キー入力]
 
迷惑書き込み防止のために投稿キーを設定しています。
投稿キーはhwslです。上記の「投稿キー」にご記入下さい。