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2006年11月10日 関川の関所

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 信濃町の野尻湖から新潟県に入った妙高市にある関川関所の御番所。
 五街道に次ぐ重要な交通路として発達した北国街道にあった関所を当時のままに再現したものが「道の歴史館」にあります。これは平成7年の発掘調査結果と古絵図を元に再現されたもので間口5間(約9m)、奥行2間半(約4.5m)、中央を6間(約11m)の渡り廊下でむすび、奥が番所役人(高田藩)の役宅になっていました。奥行が短く、長方形のような建物でしょう。
 江戸時代、全国54か所の関所の中で重要(24)なひとつにもかかわらず、常時は役人2名、人見女1名、足軽数名の少人数が勤務していたそうです。ちょうど渋谷駅前の交番のような感じでしょうか。人数が少ないので江戸末期、政府軍や幕府軍が押し寄せると素通りできたようです。例えば、場所は違いますが明治元年(1868)に江戸幕府追討の総督先鋒の大村藩鉄砲隊70余人が進撃してくると箱根の関所を守っていた小田原藩の番衆は簡単に通過させているそうですから。さすがに大人数できたら抵抗できなかったのでしょう。
 この歴史館に入って案内や歴史読本を見ていたら、想像していた関所とはやや異なる点が数多くありました。想像といっても時代劇や映画での関所しかしらないわけですけど。

・本来の手形は和紙に書かれたもの、木製の手形は農家の女性が農作業などで関所を通る時使ったもの。 
・女性の旅人は非常に少なくほとんどみかけなかった。
・旅人はいまでいう旅行ガイドブック(名称:旅行用心集)を持っていたこと。
・出土品(瀬戸物)から江戸時代は瀬戸焼より備前焼のほうが多く出回っていたこと。これは安かったためとされています。
・明治2年(1869)始め、関所廃止令により関所は廃止され、施設は民間に払い下げられた。
 和紙の手形といってもピンときませんね。土産物として売っている手形のイメージしかありませんから。また、時代劇では頻繁に女性が通りますけどどうも違うようです。
関川関所道の歴史館
http://www.city.myoko.niigata.jp/guide_seikatu/sisetu/2sekigawamitinorekisikan.html
参考文献:北国街道・関川の関所「道の歴史館読本」冊子、児玉幸多著「宿場と街道」東京美術

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