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2006年12月04日 明徳寺

 先週末に映画「父親たちの星条旗」を鑑賞。この映画は硫黄島の戦いをアメリカ側からとらえたものです。クリントイーストウッドが監督した映画は私にとってどれも印象深く、これも予想を上回るできでした。彼の映画には必ずと言っていいほど俳優の泣くシーンがあります。今回、アイラ・ヘイズ役のアダム・ビーチが泣きながら語るところでは私も泣けてしまいました。

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 ところで、写真は長野市松代町西条にある明徳寺(曹洞宗)のようす。この寺は、海津城主であり、第4次川中島の合戦で活躍(妻女山攻撃別働隊)する高坂弾正の墓があることで知られています。
 この高坂弾正とは?
 百科事典ウィキペディアによれば「元亀4年(1573年)4月の信玄の死後は勝頼に仕え、引き続き海津城代として北信濃と上杉謙信の抑えを担当したが、他の老臣たちと同じように勝頼からは疎まれていたらしい。天正3年(1575年)の長篠の戦いでは上杉軍への抑えとして待機していたが、大敗の報を聞くと兵を率いて伊那まで勝頼を出迎え、衣服・武具などに着替えさせて体面を整えさせ、領民に敗軍の見苦しさを感じさせないように配慮したと言われている。なお、この戦いでは嫡男の昌澄が戦死している。
 長篠の戦いで信玄時代の老臣で生き残ったのは昌信一人となってしまった。そのため、昌信は勝頼を補佐して武田軍団の再建を目指した。特に織田信長の脅威から脱するため、昌信は信玄の宿敵だった上杉謙信との同盟を模索したと言われている。」と記述。
 昔、長篠の合戦古戦場に立ち寄ったとき、高坂弾正が勝頼を出迎える絵があり、とても印象的でした。晩年は不遇だったようです。
 それとこの寺が有名なのは、硫黄島の戦いの日本側最高指揮官であった栗林中将の墓があることでしょう。弾正の墓から近いところに。
 硫黄島の戦いを日本側からとらえた映画がもうすぐ公開されるので栗林中将の生涯が書籍、雑誌等で話題になっています。戦後、約60年経過し、当時1000人ぐらいいた硫黄島生存者も今ではごくわずか。上記映画で主人公のジョン・ドク・ブラットリーが息子や家族に硫黄島での出来事についてはいっさい黙して語らなかった気持ちが理解できました。
参考文献:父親たちの星条旗映画パンフレット、別冊宝島1363号「栗林忠道 硫黄島の戦い」宝島社 

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