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2006年12月26日 堤塘(ていとう)

前回と同じ高速道姨捨サービスエリアから見た千曲市のようす。手前は有名な姨捨の棚田。

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 ところで古い登記簿に「堤塘」(ていとう)という土地の地目がありました。私はこの堤塘を見ると昔を思い出します。勉強したての頃、読み方がわからなくて漢字事典でやっと探しあてた字だからです。今だったら手書き文字入力で10秒ほどで探せるでしょうけど。
 これは堤がつくので意味がわからなくても何となく土手あたりだろうなと推測(広辞苑でもつつみ、どての意味を表示)できるでしょう。ちなみに堤の意味は不動産登記事務取扱手続準則第68条に規定されています。
 この堤塘とは?、今日はちょっと難しいかもしれませんが参考までに。
 下記文献(土地台帳の沿革と読み方)に(明治9年5月18日内務省議定・地所名称区別細目によれば「堤塘」は「土石等ヲ以て築キ水ノ流溢を壅遏スルモノナリ」とある。現在の「堤」,土地台帳法時代の「堤塘」は,ともに「防水のために築造した堤防」とあり,上記地所名称区別細目と表現の相違はあるが,同じ地目といってよい。)と記述。
 やはり現在の堤と同じ。昔は堤塘と言ったのを昭和35年から本格的に始まった登記簿と土地台帳の一元化作業(昭和46年完了)にあたり、堤塘を堤として移記。そのため現在、閉鎖登記簿でも堤塘の記載があるのは極めてまれなようです。
この堤塘の歴史は?
 江戸時代、各藩(特に四国)は勧農政策の一貫として溜池の改修、改築等を盛んにおこなったようで、その記録には堤塘のことが必ずといっていいほどでてきます。
 例えば文献(法定外公共物の成立と境界確定の実務)には寛栄5年(1628)に修復した満濃池(香川県)堤塘断面に関する興味深い記述があります。堤塘敷幅65間(123.50m)、堤高11間(21m)など。江戸時代は堤ではなく堤塘と言っていたようです。
明治8年地租改正実施のとき公布した「地所処分仮規則」第4章道路堤塘処分の事第3条にも堤塘のことがでてきますので明治時代も堤塘と言っていたのでしょう。

 ちなみに地租条例(明治17年3月15日太政官布告第7号)第4条には、「公立学校、郷村社地、墳墓地、用悪水路、溜池、堤塘、井溝及び公衆用道路は地租を免す」と定めていますので明治時代、堤塘には課税していなかったようです。
 現在、老朽溜池の整備事業に必要な設計基準には堤塘前付工や堤塘嵩上工などの表現が見られます。判例(神戸地洲本支判H8・1・30判例地方自治158・83)の中にも堤塘がでてくるものもありますので、不動産登記上は消滅しましたがそのほかでは現在も使われているようです。
 堤塘の具体例として下記ホ−ムペ−ジに表示されてます。
東海財務局:http://www.mof-tokai.go.jp/kanzai/hoteigai/hoteigai.htm
引用・参考文献:友次英樹著「土地台帳の沿革と読み方」日本加除出版(株)、塚田利和著「法定外公共物の成立と境界確定の実務」新日本法規(株)、秋保賢一・小林晃・野田満・三浦仁・山田一博共著「官民境界確定の実務」新日本法規(株)

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