社長ブログ

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2007年06月20日 通船

 国道19号生坂トンネル前(生坂村)から見る犀川(さいがわ)のようす。
 先月の5/28は協会の総会で松本市へ。高速道路を使って1時間くらいで行けるのですが、今回一般道(国道)を使って寄り道しながら行きました。
 寄り道するのは何か私の人生と一緒のよう。でも大人の寄り道は何か発見があって楽しいものです。
 晴れていたせいもありますが、遠くからでも北アルプスのすばらしさを実感しました。

20070620-1.jpg

 ところで、この犀川は江戸時代終わり頃から水運が盛んになりました。
 文献によると「犀川通船は天保3年(1832)から開始されたが、それまでに宿場筋からの反対が強く最初通船願が出てから実に94年を要している。
・元文4年(1739)の通船願
・延亨4年(1747)〜寛延元年の通船願
・宝暦10年(1760)の通船願
・安永6年(1767)の通船願
・文政5年(1822)〜天保3年(1832)の通船願
・・省略・・
示談成立 その後奉行のとりなしで交渉を重ね、ようやく天保3年1月28日示談が成立し通船を承認、次のような内容の規定書を取替わした。
一 宿継ぎ荷物は全部、たとい新規の物でも商人の買った物は船積みしない。
一 往来の旅人は勿論、武士の荷物、御用荷物、また懇意な者でも決して乗船しない。
一 通船品は米穀類、酒、麦、長木材、長竹、石、土瓦等宿方の支障にならない物に限る。
一 宿方では通船川筋へ見改所を設けて船荷を改め、もし取り極め以外の荷物を船積みしていたならば、船荷品共に双方立合のもとに焼き捨て、通船を皆止める。
・・省略・・
通船開始
 儀右衛門は犀川の水量の少ない時は舟底をかみ難所もあることから、近国の諸川を見学、甲州富士川の航式をとり、同所より舟大工や船頭を雇い入れ、船幅を狭く船底を薄くし弾力を持たせた。」
 通船にはいろいろ取決めがあり、舟用専門の大工さんまで必要だったのですね。見張りがいて、取り決めた船荷以外があったら焼き捨てるというのですから厳しい。
 それにしても申請から94年もかかってやっと認められたとありますから息の長い、曾祖父の思いがやっとかなった感じでしょうか。江戸時代の幕末(ペリー来航1853年)に近くなってきて、世の中(1825年外国船打払令)が変わってきたことも背景にあるはず。
 太平洋戦後、車が普及し橋が架けられて舟も必要なくなり、通船があったとは夢のような話に聞こえます。
引用参考文献:長野県教育委員会編「歴史の道調査報告書XXX供〆埓遏彈卉痛/幼耕邯文化財保護協会復刊

この記事へのコメント
Re:通船 by モリノブ

 面白い歴史で興味をひかれます。通船をしぶっているのは、利害関係でしょうか。それにしても厳しい規制での許可ですね。
 いい風景ばかりで飛んで行きたいくらいです。

モリノブ様 by 内藤

先生、いつもコメントありがとうございます。
旅人は乗せない、規定以外の品々は持ち込まないことになっていましが、守られずたびたび訴訟となっていたようです。確かに舟のほうがらくでしょうから。

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