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2007年06月22日 信濃国捧荘

 松本市和田付近の田園地帯からみる北アルプス、やはり北アルプスには雪が似合います。

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 ところで、ここから少し南東側に寄ったところが笹賀地区、この地区は源平の合戦で有名な那須与一の所領だったことでちょっと有名?
 文献によると「また源平の合戦で船上の扇を射落とした故事で有名な那須与一は、備中国荏原荘のほか捧(ささげ)荘(松本市笹賀)にも所領を得た。・・省略・・
那須系譜(国立公文書館蔵) 那須与一が信濃国角豆(ささげ・捧)荘を得たことが記されている。」と記述。
 百科事典ウィキペディアによると
「治承・寿永の乱において、源頼朝方に加わり源義経に従軍。元暦2年(1185年)の屋島の戦いでは、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とすなど功績を挙げ、源頼朝より丹波・信濃など五カ国に荘園を賜った(丹後国五賀荘・若狭国東宮荘・武蔵国太田荘・信濃国角豆荘・備中国後月郡荏原荘)。
 また、十郎為隆を除く九人の兄達が、皆平氏に味方し、為隆ものちに罪を得たため、与一が十一男ながら那須氏の家督を継ぐ事となった。与一は信濃など各地に逃亡していた兄達を赦免し領土を分け与え、下野国における那須氏発展の基礎を築いたとされる。」

 思わぬところにつながりがありました。
 それにしても那須与一は長野県松本市のほか丹後国(京都府)、若狭国(福井県)、武蔵国(埼玉・東京西部付近)、備中国(岡山県)に所領があったなんて税の取り立てや警備等管理(荘園)もたいへんだったことでしょう。
 与一は、殿様として松本市にきてこの風景を楽しんだかもしれません。
引用参考文献:長野県立歴史館編「中世信濃武士意外伝 義仲から幸村まで」郷土出版社

この記事へのコメント
Re:信濃国捧荘 by モリノブ

丹波の方で、那須の与一が休憩したお寺がありました。ヘエーと思ったのですが、所領があったのですね。歴史の人物と意外な接点を見出すと、面白くなります。

モリノブ様 by 内藤

この所領の近くに善光寺街道があり、那須与一も善光寺参りに行ったかもしれません。鎌倉時代になって那須与一はあちこちに行っているようですが、長野での記録は残っていないようです。

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