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2007年07月03日 飢饉災害2

 徳川美術館に併設されている日本庭園(徳川園・6/27撮影)、美術館横にあるので見る前はてっきり尾張藩徳川家の庭園とばかり思っていました。でも石に苔はないし、樹木の配置も何か現代的で徳川家の庭園にしては情緒がないなと感じて。
 後でタクシー運転手の方に聞いたら2年ぐらい前(地球博)にできた公共施設とのこと、それで納得。

20070702-2.jpg

 ところで江戸時代の飢饉で有名なのは天明の大飢饉、飢饉のおかげで元号も変えたといわれるくらい。確かに天明というと飢饉のイメージが強烈でしょう。
 百科事典ウィキペディアによると「天明の大飢饉(てんめいのだいききん、1782年-1788年(天明2年-天明8年))とは、江戸時代天明年間に起きた飢饉。江戸四大飢饉の1つで、日本の近世史上では最大の飢饉。」と説明。
 「天明の飢饉」の原因は凶作が7年も続いたこと、これでは飢饉になって仕方がないかもしれません。
 この飢饉のとき、農民は何を食べたのでしょうか。野に生えている草や山菜類は当たり前にしても。
 文献(長野第87号)によると新潟県頸城郡では
「この飢饉時につき松代町清水の小野島家文書(天明3年11月)は、
葛(くず)・独活(うど)・蕨(わらび)の根を掘りとり、木葉などを採集し、これらを食べてやっと露命をつないできたが、いまや冬を迎えて雪深く、葛や木葉などは集めがたく食べものに困っていたところに、藁餅(わらもち)の作り方を教えていただいたので、これを食べていましたが、もはや藁餅にまぜる米がなくなりこれからながい冬季間の雪中の生活を続けるのはむずかしいので、袖乞いに出たいが、よその村々も凶作のため袖乞いに回っても施してもられる見込みもなく、餓死するほかでございません(意訳)。
と絶望的心境を吐露している。」と記述。
 江戸時代、度重なる飢饉に餓死者が多かったことは小中学校でも習いました。ただ、飢饉のとき、草は別として何を食べたかは教わっていません。
 実はこの藁餅が幕府公認のサバイバル術のひとつだったようです。
 この藁餅(わらもち)とは?
 何か藁の中にある餅のような印象を受けますが・・・

 文献(飢饉日本史)によると「天明三年(1783年)九月、幕府よりワラ餅の製法書を代官に配って、これを住民に教えた。ワラ餅の製法とは−
 先づ生藁を凡そ半日間水に浸し能々砂を洗ひ落し穂は去り根元の方より細かに刻み之を干上げ、又は之をひきうすにて細末になす右藁の末一升に米の粉二合程入れて捏ね合わせ餅の様になし之を蒸すか又は茹きて塩或は味噌を付けて食するなり又米の粉の代わりに葛の粉、蕨の粉或いは小麦の粉を交ぜるもよしとす。(『徳川政務秘録』の内、「差出方機申渡留」)」と記述。

 要約するとわら一升に米の粉2合を混ぜて水でこねる感じでしょうか。
 「藁餅は長野でもあって先祖から伝わる話では米の粉3〜4合くらいにしたらしい、一二合だと馬じゃないけど非常に食べにくいみたい」という話を前に長野郷土史研究会の年配者から聞いたことがありました。地域によって配合は異なるようですが、切羽詰まってくると米の量が減ることは十分予想できます。
 それにしても藁が食べられるとは驚き、でもおいしくないでしょうね。
 飢饉のとき何を食べるかということは貴重な経験と知識が必要、それに食あたりのときどうするかということも重要な情報だったようです。
 江戸時代、庶民にとって質素な食事が当たり前、お祭りや婚礼のときなどのご馳走は楽しみだったことでしょう。何かのとき、ご馳走を喜ぶというのは大事なことかもしれません。たとえ現代でも。
 全く関係ない話ですが、わら半紙、小学生の頃よくありました。これって稲藁を原料に作成された紙でしたね。藁葺きの家があったり、雪国では外壁に藁を敷きしめて寒さを凌いでいた家もありました。昔、藁は重宝されていたようです。
 なお、引用にあたって一部括弧書きで読み方を追加させていただきました。
引用参考文献:
長野郷土史研究会機関誌「長野第87号」越後頸城地方の飢饉・中村辛一氏執筆、中島陽一郎著「飢饉日本史」雄山閣、菊池勇夫著「飢饉から読む近世社会」校倉書房
参考サイト:
奥会津書房「いのちの継承−会津の食から−鈴木真也著」
http://www.kyoritsu.co.jp/Okuaizu-syobou/e-shupan/inoti/index.html

この記事へのコメント
Re:飢饉災害2 by 杉

我が家は地震、災害の為倉庫に水、衣類、食料など入れてます。藁は松の木に虫が付かないように植木屋さんが巻いてくれます。冠婚葬祭のご馳走は沢山作りましたね。その為炊飯器、鍋、など特別大きいのがありました。沢山の人に集まって作ってもらいました。                                        

Re:飢饉災害2 by ルン

わら半紙、藁葺き屋根
なつかしい響きでホッとさせられますが、さすがに食べるとなると・・・・

それにしても今回、ほとんど名前だけしか知らなかった ‘天明の大飢饉’ がそれほど悲惨だったということを初めて知り、いい勉強になりました。

「最もつらい死に方は餓えて死ぬことだ」 と、かなり以前に読んだ1文を思い出しました。

杉様 by 内藤

災害のための備えはどの程度必要なのかよくわかりません。我が家では水の貯蔵と最低限の備蓄はしています。

ルン様 by 内藤

藁餅は食べ過ぎるとおなかをこわすそうで、作るのもたいへんな手間だそうです。今時飢饉だなんて変なシリーズですみません。

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