社長ブログ

ブログ内検索

2007年07月05日 飢饉災害3

 浅間山(軽井沢町方面・H19/2撮影)のようす。この山の噴火が原因で「天明の大飢饉」が生じたとされています。噴火しなければ、このようないい景色を楽しめるのですが・・・

20070704-1.jpg

 百科事典ウィキペディアによると「1783年(天明3年)8月5日 大噴火。溶岩流(鬼押し出し溶岩流)と火砕流が発生、群馬県側に流下。長野原町や嬬恋村鎌原地域など吾妻川流域を中心に1,500人の死者を出した(浅間焼泥押)。江戸時代の天明年間には東北地方で約10万人の死者を出した天明の大飢饉が起きた。同じ天明年間に浅間山が天明の大噴火を起こしていることから浅間山の影響で飢饉が起ったと長い間されてきたが、天明の大飢饉が浅間山の天明の大噴火の前に起っていることがわかり、この大飢饉の前にアイスランドでラカギガルの大噴火で大量のエアロゾルが放出されており、気象的条件からもラカギガルの影響が強いと見られている。」と記述。
 どうも最近では浅間山の噴火が「天明の大飢饉」の直接の原因とは言えないようです。
 ところで前回から続きの飢饉について
 文献(浅間嶽大焼)によると「天明三年九月中には、信州岩村田・小諸・上田などの城主より浅間山麓の住民に男女とも達菜(ダツナあるいはダツマ)三連を提出するよう通達があった。ダツマとは、高山に生育するマツムシソウのことで、高原地帯信州ならではの救荒食物といえる。人々は浅間山の入会地に、村々の腰札を目印にさげてダツマ摘みに入った。
 その折り、秋のダツマはアクが強くてどのように食してよいかわからず、無駄なことをさせるものだと人々は笑ったが、翌年の春には一連も残らず食料となり、その申し付けに関心したという。
 ダツマは、ふだんから摘んでよく干し、二重俵に入れておけば五十年過ぎても虫にならず、味も変わらないともいわれる。」と記述。
 実際、旧家から干したダツマが発見されたこともあるようで、アクが強く食べられるものではないように思っても、飢饉のときには大切な食料になったようです。
 このマツムシソウは下記ホームページに紹介されています。
 また、同文献には「江戸時代の後期には、飢饉などを背景として、『民間備忘録』『備荒草木図』『かてもの』といった野生救荒植物の利用について記した図書がいくつか出版されるなどの動きがみられた。しかし、二宮尊徳はいたずらに救荒食物に頼れば、飢饉などへの油断が生じるとして、むしろ日頃より穀物の貯蔵に心がけるべきだと説いている。」と記述。
 救荒食物とは的を得た表現ですね。江戸時代、天明以外にも飢饉は数多かったらしく、人々の食物に対する日頃の意識も変わったことでしょう。
 今の世の中、飢饉なんて考えられませんが、二宮尊徳の言う穀物の貯蔵の精神は大事かもしれません。
植物園へようこそ
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/BotanicalGarden-F.html
引用参考文献:堤隆執筆「浅間嶽大焼」浅間縄文ミュージアム

この記事へのコメント

書き込んでいただいたコメントは、管理者の確認後に公開させていただきますので、ご了承下さい。

お名前
E-MAIL(非公開)
URL
タイトル
コメント
  投稿キー    [キー入力]
 
迷惑書き込み防止のために投稿キーを設定しています。
投稿キーはahpcです。上記の「投稿キー」にご記入下さい。