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2007年07月14日 志賀高原5

 奥志賀高原のひとこま(2006/2/10撮影)。少しわかりにくいですが、カーブミラーが雪で埋まっています。それでもミラーだけは顔をだして役割を十分果たしています。

20070714-1.jpg

 ここは志賀高原の北方に位置し、近くに国土地理院の一等三角点がある岩菅山(前のブログ2006/2/17参照)や1998年長野オリンピックの競技コースがある焼額山があります。それに皇太子御夫妻がよく宿泊されるホテルや世界的に有名な指揮者の別荘がある熟平別荘地なども。
 この道(県道・奥志賀公園線)を進むとブナ林で有名な木島平村のカヤノ平があり、さらに進むと野沢温泉村へ。ちなみに佐久間象山はこの道を通り、途中から栄村切明に行ったそうです。もちろん冬ではありませんが。
 途中まで寄り添うように流れるのが雑魚川(ざこがわ)、渓流釣りで知らない人はいないというくらい有名でしょう。
 ところで、この辺の山林のことを地元の人は御林(おはやし・御林山)と読んでいます。
 文献によると「御林には、たとえば尾張藩木曽山における「留山」(とめやま)のように、住民の立ち入りいっさいを厳禁する禁林と、同じく木曽での「明山」(あきやま)のように領主が指定した禁木だけを、厳重に取り締まって他を許可利用するものなどの別があった。北信の幕府や松代藩の御林には、明山に類似した、公用林備林を確保したうえで、他の樹林や下草の利用を運上・冥加金を代償に民間に許す制度をとっているものが多い。いずれの場合にせよ、御林は多く林相(りんそう)にすぐれ、立木蓄積の豊富な山林を対象に設定された。」と記述。
 材木になりやすい、いい山を幕府や藩が所有したため、住民の利用できる範囲は限定されていたようです。これはいつの時代でも同じかもしれません。
 野沢温泉村に鷹を保護した御巣鷹山(おすたかやま)があるなど江戸時代は山にもいろいろな役割があったようです。
引用参考文献:山ノ内町誌

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