社長ブログ

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2007年07月18日 美ヶ原高原2

 中越沖地震、当事務所でも強く揺れましたが、幸い事務所に被害はなく一安心。
 今、地方の不動産鑑定士は基準地地価調査の評価作業で忙しいことでしょう。私もパソコンで作業中、地震に遭い、いざというときのバックアップ電源装置が作動せず一瞬あせりました。揺れながらも保存をなんとか。
 いろいろな方々からご心配いただきありがとうございました。

ビーナスラインからみる山々、しばし一息つける瞬間です。

20070718-1.jpg

 文献(ビーナスライン)によると「平安時代、束間郡(松本)には国府があり、茶臼山や武石峠は交通の要衝でした。当時、信濃に朝廷専用の牧場である勅旨牧(てしまき)が十六あり、勅旨牧を総括する牧監庁(もくげんちょう)が束間郡に置かれていました。美ヶ原山麓の桐原地籍には、桐原牧の伝承があり、美ヶ原原牧牧場組合の沿革史には、安閑天皇2年山辺霧原に馬を放ち、又治承年間宇治川の戦いで有名な名馬「するすみ」は当牧場に産し・・・と書いています。」と記述。
 宇治川の戦いは、平安時代末期の 1184年に源義仲と源頼朝(源範頼・源義経兄弟)とで戦われた合戦。この「するすみ」という名馬は梶原景季(かげすえ)が乗った馬として知られています。
 でもこの馬の生誕地をめぐっては、千葉県、愛知県、岐阜県、滋賀県等の各地に伝説があり、どれが真実なのかよくわかりません。
 いづれにしろ美ヶ原では良質の馬を産出していたことは間違いなさそうです。
 また、文献(長野第65号)に「信濃の馬が有名になったのは、御牧(皇室直属の牧場)が設けられるようになったからで、全国三十二カ所の御牧のうち、十六カ所までが信濃にありました。・・省略・・貢馬は信濃の十六牧から八十匹、甲斐の三牧から六十匹、武蔵四牧・上野九牧から各五十匹で、」とありますから、長野県は全国で一番多く献上していたようです。
 ちなみに一番多かったのは望月牧(佐久市望月)で30匹、牧場の規模も県内一番だったとのこと。
 奈良時代には長野県といったら牧場のイメージが強かったことでしょう。ただ、今も同じかもしれませんけど。
歴史をたどるといろいろな伝承や伝説があって楽しめます。
引用参考文献:長野県「ビーナスライン沿線の保護と利用のあり方研究会提言 最終報告書」長野郷土史研究会機関誌「長野第65号」34p,35p
<追伸>
 同文献(ビーナスライン)によると「美ヶ原は、江戸時代の中期になって「信府統記」に「美ヶ原」という呼称が初めて登場します。」とありますから、前回の百科事典ウィキペディアの説明と異なっています。
 この「信府統記」は松本藩が作った公的な文書ですのでこちらのほうが正しいのかもしれません。

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