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2007年07月22日 戸隠高原1

 戸隠高原の中心地とも言える戸隠中社入口付近(H19/5/10撮影・標高1206m付近)。近くには巨大な杉の木があり、江戸時代1000石の寺領(石高)を有していただけに伝統と格式を感じさせます。ちなみに善光寺も同石高でした。

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 戦前、中社の社殿にはたいへん立派な天井画があったようです。
 文献(江戸から見た信濃)によると
 [幕末から明治にかけて活躍した画家に河鍋暁斎(1831〜1887)がいる。「葛飾北斎の再来」ともいわれた技巧のもちぬしで、明治時代には、外国人の帰国土産にと、もてはやされた。暁斎は、絵を描いて全国を行脚したが、慶応元年(1865年)には信州にやってきた。戸隠中社の社殿に大きな竜図を描き、「戸隠で唯一の見もの」「暁斎の代表作だ」との評判を呼んだ。この絵は昭和17年、中社社殿の火災にあって現存しない、幻の傑作である。]と記述。
 この絵は、小布施町岩松院にある葛飾北斎の天井画に負けないようなものをという、戸隠一山別当(寺社の最高管理者)の求めに応じて奉納したもの。今、地元ではこの絵を見たことがある人は数少なく、存在自体忘れ去れようとしているようです。
 ところで、河鍋暁斎とは誰?
 百科事典ウィキペディアによると「河鍋暁斎(かわなべ きょうさい、1831年(天保2年) - 1889年(明治22年)4月26日)は幕末から明治にかけて活躍した絵師。明治初期に投獄されたこともあるほどの反骨精神の持ち主で、多くの戯画や風刺画を残している。狩野派の流れを受けているが、他の流派・画法も貪欲に取り入れている。その筆力・写生力は群を抜いており、海外でも高く評価されている。」と記述。
 同じく同ウィキペディアに天保9年(1837)、江戸時代末期を代表する浮世絵師の1人である歌川国芳に弟子入りしたとありますから、浮世絵の世界でも有名な人のようです。
 当時、格天井(立派な座敷の天井に多い)の升目に絵を描いていく作業ですから、たいへんな労力が必要だったそうです。
 私は浮世絵といったら葛飾北斎、安藤広重、写楽ぐらいしか知りませんでした。
 今もそうですが、冬の寒さは身にしみたでしょう。というのは暁斎が信州にきたとき、雪が降ると下山できないことを聞き、すぐに逃げ出したそうですから。
引用参考文献:徳竹康彰著「江戸から見た信濃」柏企画106,107p、戸隠村誌合併30周年記念
参考サイト:河鍋暁斎記念美術館
http://www2.ocn.ne.jp/~kkkb/index.html

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