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2007年11月01日 鉄文化1

 坂城町のようす。ここは戦国時代、村上義清の本拠地。大河ドラマ「風林火山」に義清がよく登場していました。武田信玄を負かした武将?として。

20071101-1.jpg

 この写真の右側付近に「関畝製鉄遺跡」があります。この遺跡は、文献によると「昭和48年10月2日、坂城町文化財審議委員である中村良治氏によって、関畝遺跡は発見された。中村氏は古代の鉄の生産に関心を持ち、いわゆる和鉄精錬所のようなものが案外各地に存在するのではないかとの考えをたずさえて、遺跡の調査にあたってきたその結果に負うところが大きい。氏によると、まず畑の石垣に鉄滓の大塊がつかわれていたのを発見したとの事である。(略)現地調査が両氏によって行われ、かなり大規模な「たたら遺跡」である可能性が推測された。」と紹介。

 そういえばよく読む漫画ビックコミック(小学館)に「宗像教授異考録」が連載されています。この漫画は大好きで単行本もたまに読み返します。歴史が好きな人にはたまらないでしょう。主人公は鉄の専門家で鉄器文化の足跡を研究していて上記と同じようなことを記載していました。それに鉄の原料について下記のような記述も。
「火で精錬することは鉄も貴金属も同じだが、日本の場合、原料は鉄鉱石ではなく”砂鉄”類が多かった。川や海岸に堆積する砂鉄、粒状の餅鉄。湖や池では褐鉄鉱(かってっこう)といって植物の根に付着した鉄の成分も利用された。山を切り崩して土砂を川に流し砂鉄を選別する方法もあった。つまり鉄の多くは水辺でとられてきたんだ。」

 考えてみれば戦国時代、当たり前のように鉄類を使っていますね。槍や刀の武器、兜や武具などなど。その鉄はどうやって仕入れていたのか、どこで掘っていたのか案外わかっていません。今みたいに簡単に手に入る時代でもないでしょうし。
 各地に存在する鉄遺跡をみると人々の歴史と文化を感じ取ることができます。戦国時代、長野県の雄たる村上義清の家来にも鉄の専門家がたくさんいたのかもしれません。でなければ何千という兵士をそろえることすらできないでしょう。
 この関畝製鉄遺跡調査は33年も前の話。町役場の人の話によると今はただの草むらとのこと。昔に発掘されてその後忘れ去られた遺跡のように。そんな遺跡もふと行ってみたくなります。
引用参考文献:第2次調査報告「関畝製鉄遺跡」6p坂城町教育委員会、星野之宣著「宗像教授異考録第一集」第1話・小学館

この記事へのコメント
Re:鉄文化1 by ルン

「鉄文化」 のタイトルを見ただけで、「・・・・・」 となってしまいました。
でも、ガマン(?)して読み始めると、なかなか面白かったです。
戦国時代の兜や鎧の原料が、水辺でとれる砂鉄の類だったなんて・・・

ちょっとしたカルチャーショックを感じます。

ルン様 by 内藤

ルン様、がまんして読んでいただきありがとうございます。先日、博物館で鎧を見ていましたら、この鉄どこで造ったんだろうとふと疑問に思いました。長野県は鉄鉱石の産地が少ないので。時代劇の家来たちがきている鎧は立派すぎて、こんなの当時着たくてもきれなかったように思えてしまいます。

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