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2007年11月02日 鉄文化2

 千曲市にある荒砥(あらと)城跡付近(2007/5/15撮影)から。昨日の写真とはちょうど反対方向から写すような感じで千曲川の流れに一服。この場所大河ドラマ「風林火山」のロケにも使われました。晴れると絶景でしょう。

20071101-2.jpg

 前回の開畝(かいぜ)製鉄遺跡の第一次及び二次調査から以下(坂城町誌より抜粋)のことがわかっています。
・製練を実施した製鉄炉が2基あった。原始的な製鉄炉で熊本県玉名市の春日六反製鉄遺跡に近く、群馬県太田市の菅ノ沢製鉄遺跡や渋川市金井製鉄遺跡などと同系統。
太田市の文化財:菅ノ沢遺跡
http://www.page.sannet.ne.jp/gooki/p/shiteiigai/shiseki/shiseki4.htm
・砂鉄置場があり、千曲川の砂鉄を原料としていた。川砂鉄を牛馬によって開畝に運び上げ、後背地の天然林の薪炭材を燃料として製錬を行っていた。
・製鉄関係地名(近くの竜田山、竜田の里、金井、山金井)が製錬跡地の存在を確実なものにしている。
・須恵器の古窯址と製鉄関係の遺跡は関連がある。
 参考までに広辞苑によると須恵器とは「古墳時代後期から奈良・平安時代に行われた、大陸系技術による素焼の土器。良質粘土で、成形にはろくろを使用、あな窯を使い高温の還元炎で焼くため暗青色を呈するのが一般。食器や貯蔵用の壺・甕が多く、祭器もある。」と説明。
 千曲川の砂鉄を使っていたのですね。そういえば私も小さい頃、砂鉄取りをよくしました。砂鉄を集めて磁石で遊ぶだけですが、これがなかなか面白くて。
 それに
 文献(坂城町誌)に「古墳時代、千曲川水系のみで千数百基の古墳の築造が行われた。その古墳の多くは、後期古墳であるが、その後期古墳は横穴式石室を持つ、いわば個人墓でなく家族合葬墓である。その合葬はすくなくとも複数行われており、平均すれば古墳総数の三倍になるかもしれない。しかし、ここで注意すべきは、その古墳葬送に際しての副葬品であるが、基本的なものに直刀や刀子などの製鉄品があるのである。仮に一回一ふりの直刀が副葬されたとしても、千曲川水系だけでも三千ふり以上の直刀が副葬されたことになる。単純に考えて、その鉄の供給はどこでなされたかと考えると、その生産の規模の大きさに驚かざるをえない。(略)しかし、千曲川水系が弥生、古墳時代を通して、高い製鉄器の保有地帯であったとみることは重要である。」
すごいものです。これだけの鉄を生産していたのですから。砂鉄取りは職業として確立していたのでしょう。
 実際、写真の西側方面にある遺跡群(屋代・間口、粟佐、杭瀬下、長野市塩崎)からは銑鉄製の羽釜が多数出土しているとか。
 案外、武田信玄は坂城、更埴地方の鉄資源を追い求めたのかもしれませんね。鉄のことを知るとドラマや時代劇の鉄製の武器や防具をつい気にしてしまいます。こんなのほんとうにあったかなーと。
引用参考文献:「坂城町誌」中巻歴史編(一)143〜158P、第2次調査報告「関畝製鉄遺跡」坂城町教育委員会

この記事へのコメント
Re:鉄文化2 by モリノブ

 子どもの頃に砂鉄を磁石で遊んだ記憶はありますね。でも実際の砂鉄はみたことがありません。
 私の生まれた近くの愛媛県新居浜は別子銅山がありますが、鉄資源は聞いたことがないですね。鉄のほうがおおく使われているのに不思議な気がします。

Re:鉄文化2 by 内藤

各地に小型の精錬所は多かったようです。今ではほとんど破壊されてないようですが。ヨーロッパのヒッタイト民族のように鉄資源を追い求めて移動した時代があったのかもしれません。

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