社長ブログ

ブログ内検索

2007年11月03日 鉄文化3

 前回と同じ場所から撮った千曲市のようす。ここから見る千曲川にはうっとりしてしまいます。恋人のように。

20071102-1.jpg

 千曲市には鋳物師屋という地名があります。それに県内には鋳物師のつく地名は多く諏訪市・茅野市・佐久市、県外では岐阜県関市にも。
 鋳物師というキーワードで検索(プロアトラスSV)すると山口県、滋賀県、愛知県などにもあり、全国に存在していることがわかります。
 前々からなんとなく、鋳物ですから鉄に関係がありそうな感じ?はしていましたが。
 文献(長野県の地名)によると「この地名の由来は鍋釜のような生活雑器や仏具などを鋳造する職人を「鋳物師」(いもじ・いもし・いものし)といいますから、これからきているように思われます。銅を使った銅剣・銅鐸・鏡などは弥生時代のころから造られていたと考えられるし、(略)鎌倉時代を中心とする時期に鍋・釜・鋤鍬などの生活用具や農耕具、さらには打鉄を造り、それらを行商していた鋳物師集団があり、史資料によると、東日本一帯というように広い範囲にわたる地方組織をもち、大きな集団をなして活動していたといわれます。ですから、鋳物師は用器の製造だけでなくて、販売活動も積極的に行っていたらしいのです。」
 佐久市に鋳物師釜という地名があるそうですから、今で言えば製造兼雑貨屋さんの感じでしょうか。いつの時代でも鍋や釜は必要ですから、こういった生活用具を造ったり、扱ったりする職業の人は重宝されたかもしれません。
 それに同文献は松本市の「いもじ田」という地名を例に出し下記のような説明をしていてとても参考になります。
「上記例示のうち「いもじ田」は別項「鷹匠免」「鍛治田」などと同じように在地領主が鍋釜のような鋳物を造らせ、これを販売して利益をあげるために「鋳物師」を優遇し、引き止めておくために、年貢を免除して作らせた田をいうものとみられ、これは特殊技能者優遇策として、中世各地の荘園などで採用されていた制度です。」
 中世の殿様は庶民の生活のために必要な鋳物師集団を優遇していたのですね。確かに居なくなって一揆が起こったら困ったでしょうし。戦国時代に消滅してしまう荘園にもいろいろな工夫が感じられます。
 ちなみに農具や武具などは打物師(鍛冶)によって作られることが多かったそうで、鉄の特殊技能集団は徐々に分化していったのでしょう。
引用参考文献:松崎岩夫著「長野県の地名その由来」457〜460P信濃古代文化研究所

この記事へのコメント
Re:鉄文化3 by モリノブ

 航空写真のような風景ですね。こういったスポットがあるのは不思議です。博物館の資料室などで鍋・釜・鋤鍬を見ていると、昔の方がはるかに人の暮らしの知恵を感じます。今は人でなくてメカの発達みたいで、味気ないですね。
 鋳物町とか鍛治屋町、城下町に必ずあるのでしょうね?
 

モリノブ様Re:鉄文化3 by 内藤

昔、鍋釜は財産のひとつで長く使ったそうです。城下町に残っている昔の地名(鷹匠、鍛冶、薬問屋等)を見ると当時の人々を想像してしまいます。それぞれいろいろな専門家集団がいたことを。

書き込んでいただいたコメントは、管理者の確認後に公開させていただきますので、ご了承下さい。

お名前
E-MAIL(非公開)
URL
タイトル
コメント
  投稿キー    [キー入力]
 
迷惑書き込み防止のために投稿キーを設定しています。
投稿キーはo1z2です。上記の「投稿キー」にご記入下さい。