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2007年11月05日 銅戈2

 前回と同じ中野市柳沢遺跡の発掘現場から。この水位標識から過去の水害状況がよくわかります。

20071104-1.jpg

 それもあってか現地説明会のとき、ある年配者がこう聞いていました。
「この辺、水害が多いから、この遺跡、上流から流されてきたことは考えられないか」
これに対し、現地説明者は
「埋まり方が島根や近畿の出土例と酷似してますし、出土の状況から流されてきたとは考えにくいと思います。」
 聞いている人はずいぶん詳しく、素人のこちらは感心して聞いていました。あとでこの方にちょっとお伺い(ずうずうしいですが)してみたら「過去の市内発掘調査で地下1〜3mに遺跡が多く発見されているから夜間瀬川の氾濫で深く埋没している遺跡が多いと思う」とのこと。
 また、「近くに弥生時代の遺跡があちこちあるが、その辺との関係は?」の質問に対し、
「近くにある遺跡は皆、水害のおそれがないところです。そちらは居住する方ですし、こちらは祭事などをおこなう場所として使われたのではないかと推測できます。」と説明。
 前に偽装の遺跡が話題になりました。持ってきた破片を埋めて大発見のようにしていた例が。考えてみれば、いろいろな状況証拠(水環境・地層・地形・周辺の遺跡等)から照らし合わせ、見学者にも十分説明できなければ疑われてしまうでしょう。このように的確な説明があると何か安心してしまいます。今偽装が社会問題になっているだけに。
 写真にも見える集落一体は柳沢遺跡群に広く指定されています。
 中野市誌によると「柳沢の弥生時代遺跡は、船場・屋敷添・八幡塚・塚穴・大久保・宮上の地字に広がる山麓の遺跡で、栗林・安源寺・間山等とともに、市内でも広範な遺跡のひとつである。出土遺物も多く、栗林式・百瀬式・箱清水式の中期・後期等の土器と共に有孔石鏃・太形蛤刃石斧・扁平片刃石斧のほかに、管状土錘・滑石製紡錘車などがあり、装身具たる碧玉製の管玉と勾玉の類がある。縄文・土師の遺跡と複合する」と説明。
 難しい字が多くて変換に苦労しました。鏃はやじりの意味、土師ははじと読みます。特に土師(広辞苑による)は大和朝廷で葬式・陵墓・土器製作などを担当した氏(うじ)として、また土師器の名称として知られています。
 この辺、船着場でもあったようで弥生時代の出土品が数多く、土器が出たくらいでは珍しくありません。なにしろ中野市は40余の弥生時代の遺跡が水辺付近を中心に発見されていますから。
 夜間瀬川(よませがわ)、千曲川は生活用水、砂鉄、農耕等数々の恩恵をもたらしているからでしょう。
 それに今ある東山団地は、造成時(昭和46年)に不思議な石が2個発見されました。これはナウマン象(16000年〜20000年前)の歯だったそうです。ということは縄文時代にもたくさんの人が狩りをしていたかも。そして弥生時代になってクニができ文化が花開いていた地域かもしれませんね。
引用参考文献:中野市誌編纂委員会「中野市誌歴史編前編」82p,84p中野市

この記事へのコメント
Re:銅戈2 by モリノブ

 水害の目盛りを見ると、生々しいですね。以前作家の黒川博行さんの「8号古墳の謎」という文庫にあとがきを書いたことがあって、全くの無知でも困るので、すこしだけネットで調べたことがあります。
 発掘は謎を解明するみたいで面白そうですが、時間がかかるものですね。
 漢字の変換お疲れ様です。

モリノブ様Re:銅戈2 by 内藤

水害の目盛りは場所によって江戸時代からのものもあります。長野県の歴史をみると奈良時代、江戸時代にすさまじい水害の記録が残っています。ちょうど1000年単位で。地震もそうですが。
発掘のほとんどは平凡なものしかでないそうですから地道な作業の繰り返しかもしれません。遺跡関係の文章は漢字変換がいつもたいへんです。

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