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2007年11月08日 鉄文化4

 3年前(10月下旬)に写した戸隠にある鏡池。水面の戸隠山のほうが映えて見えます。前に写真展へ出して落選したままになっていたのを忘れてました。デジカメの解像度(canon ixy digital500)が今となっては低いですが、景色がそれを補っているでしょう。

20071107-1.jpg

 今日はいったん中断した鉄文化の続き。5までありますので我慢?してください。
 長野市には鑪(たたら)という地名(大字)があります。そこは川中島の戦い第四次合戦の引き金となった葛山があります。冬に信玄の攻略によって葛山城が落城したため謙信公が激怒し、第四次合戦につながることは以前のブログ(2007/3/6川中島の戦い舞台裏6)にも記載しました。
 それにしても変わった地名です。何か意味があるのでしょうか。
 文献(長野県の地名)によると[「たたら」は製鉄に由来するものと考えられます。本来、これは足踏式の鞴(ふいご)のことをいい、「踏鞴」の文字が当たられていたようです。その後、砂鉄製錬の鈩のことも「たたら」と呼び、さらに、時が経つと、炉が入っている高殿(たかどの)と呼ばれる建物のことも、「たたら」というようになったといわれ(略)]と記述。
 長野県には「たたら」に関係のある地名が多いですね。たとえば千曲市戸倉や坂城町の「たたら口」、根羽村のタタラやタタラ坂、塩尻市と大岡村の「多らら」、東御市「たたらどう」、坂北村「多羅窪」、信州新町「上又田羅」などなど。
 上記文献に[「たたら」がある期間定住すると、その周辺の樹木はなくなってしまうといわれ、中国地方の山地一帯に樹木が少ないのは、古来、この地方は「たたら」製鉄が盛んだったためとする見方さえあります。(略)とにかく、「たたら」は特殊技能者集団で中世までは一定の土地に定住することも少なく、原材料や燃料を求めて移動を繰り返していたといわれていますが、地名として残っているものはたとえ一時的であるにしろ、彼らが居を構えて鉄をつくっていたところとみられます。]とあります。
 確かに鉄をつくる人たちは特殊技能者集団ですね。昔精錬した鉄類は、代々大事にしたことでしょう。家宝みたいな感じで。
引用参考文献:松崎岩夫著「長野県の地名その由来」460〜462p信濃古代文化研究所
参考サイト
日立金属「たたらの話」
http://www.hitachi-metals.co.jp/tatara/nnp01.htm

この記事へのコメント
Re:鉄文化4 by モリノブ

"たたら製鉄法はインドの製鉄技術が東南アジア経由で伝播したものではないか"こんな記述がありましたが、将棋の歴史と同じルートかもしれません。また、たたら、とはいかにも物の怪の言葉のようです?

モリノブ様Re:鉄文化4 by 内藤

長野に帰ってきた頃、たたらとは変わった名前に感じられました。歴史を知るとちょっと見方が変わるような気がします。鉄と一緒に将棋も持ち込まれたような気がしてきました。

Re:鉄文化4 by ルン

なんとキレイな写真でしょう!!!

水面鏡という言葉がピッタリですね☆

ルン様 by 内藤

紅葉と天気がマッチした写真はなかなかとれないような気がします。こういう日は仕事をさぼってでも写したくなります。
今年は山も暖かいような気がします。昨日でもワイシャツ1枚で動いてました。

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