社長ブログ

ブログ内検索

2007年11月09日 鉄文化5

 東御市(2007/2/26撮影)から。ちょっと幻想的に感じられ、たたずんでいました。

20071108-1.jpg

 東御市和(かのう)地区には、昨日のブログでもでてきた「鑪鞴堂(たたらどう)」という地名があります。そこには「たたら堂遺跡」があるほか鍛冶屋遺跡も近くにあります。どちらも鉄に関係があるのかもしれません。
 たたら堂遺跡は縄文・弥生時代の複合遺跡で、昭和62年の調査では縄文時代の石囲い炉と埋甕(まいよう)を伴う住居跡が発見されています。
 縄文・弥生時代によく現れる埋甕(まいよう)とは?
 文献(東部町誌)によると「竪穴式住居跡の入り口などに、平縁の深鉢形土器の口縁部を床面と同じ高さにして埋設したものをいう。用途としては、貯蔵的な役割、食料、栃の実の灰汁(あく)抜き用などに施用されたとも考えられ、貝殻でつくられた腕輪など装身具が入っていた例などもある。また民俗学的事例から、幼児甕棺として埋設したもの・死産児などの母への胎内への回帰を願う妊娠呪術であり、胎盤を納めたものとする説もある。縄文時代中期後半から現れ、中部地方を中心に盛んに行われている。」と記述。
 埋甕の形は下記ホ−ムペ−ジで埋甕炉として紹介されています。
茅野市役所
http://www.city.chino.lg.jp/kbn/07050420/07050420.html
 また、同市内の中原遺跡(縄文後期)からは石囲い炉を持つ敷石住居が発見されていて、この敷石は鉄平石とか。
 栃の実のあく抜きはどうやってやったのか不思議で。私が考える以上に食べることにどん欲だったのでしょう。当時の人々のいろいろな工夫と生活感が感じられます。
 縄文時代から発見される土器にはきれいな縄文もようの地文が施されています。当時、土器を焼くことはたいへんなこと。たくさんの木々を燃やし土器をうまく焼ける人は尊敬されたかもしれません。
 たとえ生活用具とはいえ、土器は代々受け継ぐ宝物として大切にされたことでしょうね。
引用参考文献:東部町誌歴史編(上)39p

この記事へのコメント

書き込んでいただいたコメントは、管理者の確認後に公開させていただきますので、ご了承下さい。

お名前
E-MAIL(非公開)
URL
タイトル
コメント
  投稿キー    [キー入力]
 
迷惑書き込み防止のために投稿キーを設定しています。
投稿キーはcc26です。上記の「投稿キー」にご記入下さい。