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2007年11月10日 鉄文化6

 坂城町にある「鉄の展示館」のようす。日本刀が多く展示され、今「村上義清と風林火山の時代」展も開催されています。坂城町は村上義清と作刀の宮入行平を生んだ所として知られています。
 宮入行平氏(昭和52年没)は人間国宝で当時作刀の第一人者として活躍していました。
昭和39年常陸宮妃殿下御守刀謹作、昭和44年靖国神社百年記念祭に際し、太刀謹作、昭和44年紀宮殿下御守刀謹作等の業績があり、詳細は下記サイトをご覧ください。
宮入行平
http://www.sakaki.com/cci/nigiwai/jinbutu4.html
宮入行平一門
http://tetsu.town.sakaki.nagano.jp/yukihira/yukihira.html
 行平氏は、前のブログで紹介した関畝製鉄遺跡調査にも参加され昔の製鉄技術に深く興味を抱いていたようです。

20071110-1.jpg

 ついでに日本刀の歴史をちょっとだけ調べてみました。
 文献によると「刀剣の原初的形態は縄文時代の石刀や石剣です。やがて弥生時代の前期(紀元前2〜3世紀頃)に銅剣が大陸から輸入されます。その銅剣が完全に実用的な武器として普及する間もなく、弥生時代前期後半に鉄器文化が大陸から伝わり、鉄製の剣が急速に普及します。(略)最初に登場したのは主に刺突を目的とした両刃の剣で、これは古墳時代(4〜5世紀)前期まで流行します。つづいて斬撃機能を主体とした片刃の大刀が登場。この形式は奈良時代(710〜784)から平安時代初期までの長い間、刀剣の中心的な形式となりました。剣も大刀も直刀です。直刀は突くにはすぐれていますが、斬るには不便です。そこで刀身に反りを持たせて、斬るのに便利な形状が工夫されました。それがいわゆる彎刀(わんとう)であり、日本刀の最大の特徴です。こうした日本刀の基本形が完成されたのは、平安時代中期です。」と記述。
 中野市柳沢遺跡で発見された銅戈は両刃のような感じ、たしかに弥生時代は両刃だったのかもしれません。
 武士が騎馬戦で戦う場合、突くよりも斬るほうが適していたようです。武器の威力や操作の便利さが求められるようになり、創意工夫の積み重ねによって日本刀が生み出されていったのでしょう。
 でも昔の日本刀はテレビでみるほどの威力がなかったでしょうね。それに時代劇や大河ドラマでやたら兵士同士が防具の上から斬るシーンが多く、あれではすぐに刃がだめになるような感じがして。
引用参考文献:戸田藤成著「武器と防具 日本編」97p,98p新紀元社

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