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2007年12月21日 一茶の生涯5

 家内が小学生の頃、よく写生大会で来た京都府立植物園(2007/8撮影)から。今は夜も輝いて。ここは大きいので驚きました。京都の市街地の中にこのような大きな施設があるとは。
京都府立植物園
http://www.pref.kyoto.jp/plant/1196644827344.html

20071221-1.jpg

 一茶は旅が好きだったようで27歳から36歳の間に奥州と西国地方を訪れています。27歳のときの奥州は松尾芭蕉の「奥の細道」に感銘を受けたため、30〜36歳の西国地方は亡師二六庵竹阿とゆかりが深いためとされています。今でも俳句の好きな人にとって東北の「奥の細道ツアー」や長野県姨捨山の「更級日記ツアー」は人気のようですから今も昔も一緒。誰でも芭蕉の気持ちを享受してみたいのかもしれませんね。

文献(一茶ゆかりの里)の年表によると
27歳(1789年)八月:秋田県(象潟)など奥州を訪れる。
30歳(1792年)三月:西国行脚に出発−夏、京坂地方を訪れる。秋、観音寺(香川県)の専念寺、土居(愛媛県)などを訪れる。
31歳(1793年):八代(熊本県)の正教寺で新年を迎え、九州各地を巡る。
32歳(1794年):長崎で新年を迎え九州各地を巡る。冬、四国に渡る。
33歳(1795年):専念寺(香川県)で新年を迎える。松山で桜見物。秋、大津の義仲寺の芭蕉忌に参加する。
34歳(1796年):四国松山へ渡る。
35歳(1797年):夏から秋にかけ福山(広島県)に滞在、近畿地方を巡る。冬から翌春まで大和地方を巡る。
36歳(1798年):夏、西国の旅を終える。

 一茶は京都、大阪地方をはじめ中国、四国、九州にまで足をのばしていました。だから関西に一茶由来の場所が多いのですね。
 長野県高山村にある「一茶ゆかりの里」の展示品に「縁故を訪ね歩いては世話になるという貧しい旅であった。」とありましたから、この旅は修業の場であったのかもしれません。
 後に西国旅行を回想しての句と言われる、
「春の日や暮ても見ゆる東山」−−文化二年
のようにいい旅でもあったことでしょう。解説がなくても私のレベルでなんとなくわかるような気がする句です。
引用参考文献:矢羽勝幸監修「一茶ゆかりの里」6p,7p、「長野133号87の3」長野郷土史研究会

この記事へのコメント
Re:一茶の生涯5 by ルン

>一茶は旅が好きだったようで27歳から36歳の間に奥州と西国地方を訪れています

まだまだ多感な時期にこれだけの旅を重ねたことは大きな事だったでしょうね。

>「縁故を訪ね歩いては世話になるという貧しい旅であった。」

観光気分ではなかなか出来ないことですね。
少なくとも私にはムリです。

京都府立植物園のことは知りませんでした。
氷の彫刻が見てみたいなあと思いましたが・・・・寒いでしょうね。

ルン様Re:一茶の生涯5 by 内藤

今みたいにホテルや民宿に泊まり歩くというわけには行かないので江戸時代の人は、泊まるとき米や麦を差し出したそうです。たぶん重いリュックを背負っていたのかもしれません。
この植物園で持って行ったおにぎりを食べてました。駐車場もありますし、意外と隠れた穴場だそうです。

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