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2008年01月05日 将軍への拝賀

 善光寺仁王門(1/2撮影)のようす。2日は本堂に参拝するのに待ち時間がたいてい40分前後。時間によっては1時間以上もかかるようです。我が家はそれを避け大勧進や大本願にお参りして初詣を済ませます。また日を改めて本堂へ。

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 そういえば江戸時代、将軍への年賀のあいさつはたいへんだったことをふと思い出しました。
 文献(大名と旗本の暮らし)によると「年頭の将軍への拝賀は、城中の年中行事の中でもっとも重要な儀式であった。元旦、二日、三日の三日間に、大名の身分格式によって日どりを分けて行われた。
 元旦の朝、六ツ半(午前七時)には、御三家、御山卿(ごさんきょう)、徳川一門の諸家、譜代大名、縁故のある外様大名などが登城し、将軍に年始の御礼を言上する。
 二日は、御三家、御山卿の嫡子、国持の外様大名などが五ツ(午前八時)に登城し、
 三日は、無位無官の大名、寄合の旗本、500石以上の御目見得以上で無役のもの、江戸町年寄などが参上し、年始の御礼を行った。(略)」と記述。
 あいさつするのも順番があったようです。もちろん正装して行くのでしょうから疲れたでしょうね。我が家のように正月のどの日に初詣するのか毎年違うのとは訳が違うようです。
 それに長野法人会報の新年号に江戸時代の初詣のことが書かれています。それは「初詣なかった江戸町民の正月」という題で。
 正月三が日の江戸市内は、将軍への年賀あいさつのため江戸在勤の百三十家以上の大名行列であふれ町人・職人・農民はほとんど外出が出来なかったそうです。百三十家以上の大名が歩くだけでもたいへんな行列、それにどこからくるのかわかりませんし。庶民にとって寒い中、外で土下座するくらいだったら家にいたほうがましだったからでしょう。
 この会報に[もともと江戸時代の神社には、元旦には儀式はなかった。江戸の町人たちは、大名の年賀を避けて正月(一月)の間に「恵方詣」(えほうまいり)というのをした。恵方詣とは、その年の「恵方(吉方)」の寺社へ詣でて、福徳を祈るものである。恵方は毎年替わるので、正月に詣でる寺社も異なる。(略)初詣というのは、昭和10年の高浜虚子の歌が初出で、江戸の恵方詣が変形した昭和の新習慣である。]と記述してありますから正月の様相が今とは全く違っていたようです。庶民にとっての正月はもっと後にきたのでしょう。
引用文献:平井聖監修「図説江戸2 大名と旗本の暮らし」8P株式会社学習研究社、古川愛哲執筆「NO.245 長野法人会報 第4回初詣なかった江戸町民の正月」社団法人長野法人会

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