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2008年01月29日 在家1

 昨日と同じ場所から。飯綱湖の初秋?(2007/9/14撮影)のようす。冬以外にもこのような絶景?が見られます。この場所、一人気に入ってます。

20080129-1.jpg

 ところで前々回で紹介した領家交差点から若穂保科方面に行ったところに清水寺(せいすいじ)があります。この寺は長野市誌によると「大同元年(806)坂上田村麿が奥州遠征の帰途、この郷に立ち寄り鎮守として自分の兜の前立「鉄鍬形」(重要文化財)を納めたという」ほど古くから存在しています。また何かの機会に紹介できれば。
 この寺の西側一帯の地名は「在家」になっていて、長野県にはこの在家という字名が下記の例のように非常に多く見られます。
(例)大町市や旧丸子町の上在家、旧戸倉町の五軒在家、長野市・池田町の半在家、駒ヶ根市・伊那市・箕輪町の在家、小川村の古在家、上田市の幅在家、茅野市の獅在家、飯田市の久保在家など。
 これはどうしてでしょうか。
 文献(長野県の地名その由来)に「これは中世において、荘園が国土に満ち満ちていたころ、農村の各農家を「在家」(ざいけ)といい、これは年貢や夫役の徴収に当たり、一在家当たり麻布一段とか、人足一人というようになっていましたから、農村生活の基盤をなしていたわけで、このことは公領においても同じでした。」と記述。
 ということは在家という字名がつくと中世の時代、既に宅地化されていたことになります。
 また、文献(地名から歴史を読む方法)に[関西に「在家」(ざいけ)のつく小地名がいくつかある。それは中世に「在家役」という田畑から租税をとるほかに家屋にも租税をかける支配がおこなわれたことをあらわす。先進地には副業に手工業などを営み豊かになった農民が多かったために、在家役がとられたのである。」と記述。
 これは今で言えば固定資産税と一緒。ましてや建物にも課税するのですから今と根本的な仕組みは同じに思えます。昔も今も考えるとことは一緒ということでしょうか。
引用参考文献:松崎岩夫著「長野県の地名その由来」262p信濃古代文化研究所、武光誠著「地名から歴史を読む方法」131p132p株式会社河出書房新社

この記事へのコメント
Re:在家1 by モリノブ

 在家という言葉は宗教の分野かと思っていました。中世の時代から確立されている体系なのですね。
 労使みたいです。税金制度は昔からあったのですね。地名はどこかに歴史の由来があるのも面白いです。

Re:在家1 by ルン

将棋教室関係で、「領家さん」 と 「今在家君」 が存在します。
時代を感じさせられますね。

写真
見れば見るほど美しくて、ため息が出ます。
本当に鏡のよう・・・・
右手前にちょっぴり写っているススキ(?)が優しさを添えてますね♪

モリノブ様Re:在家1 by 内藤

領家、地頭、在家はセットみたいで関連ある地名になっています。在家役という中世の職業は今でいえば税金徴収係に似ています。でも納める物は米や特産物だったはずですから、徴収は重くてたいへんだったと思います。

ルン様Re:在家1 by 内藤

名字にもあることは知りませんでした。おそらく先祖の方は何らかの関連があるのかもしれません。
写真ほめていただいてありがとうございます。昨日の写真で思い出しました。いっぱい撮っていますとよく忘れてしまいます。

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