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2008年02月04日 一茶の生涯10

 前回記述した「一茶ゆかりの里」展示館近くの風景(高山村)。一茶もこの風景を楽しんだことでしょう。

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 この展示館の「父の終焉日記」に興味深い話が書かれています。この日記は大正11年(1922)荻原井泉水によって初めて刊行されたもので、江戸及び明治時代、一般に知られていない存在だったようです。
 文献を一部要約しますと4月、病気の父が梨の実を食べたいというので一茶(39歳)は方々探し回ります。ちょうど薬の切れる日でもあったので信濃町から善光寺まで探しに行ったものの、季節はずれもあってどこにも見当たらず途方にくれ、結局見つからないで帰る経緯が書いてあります。
 文献(一茶ゆかりの里)「昔、呉の孟宗が病気の母の求めで雪中よりたけのこを掘り出したり、晋の王祥が母のために裸で氷上にねて鯉を得たというような例もあるというのに、私には、梨一つ得ることができないというのは、(略)」と嘆いています。
 すごいですね。中国の古典を例に出して説明するなんて。昨日のブログと同様に学の深さが感じられます。
 それにしても梨のために徹底的に探し回るところから、一茶は人一倍人情深いところがあったのでしょうか。
 後世の人々は一茶をこう評価しています。
 夏目漱石「芭蕉は自然に行き一茶は人に行く。」俳誌「科野」99号より
 束松露香(つかまつろこう)「一茶は極端なる一種の潔癖家にして、又激烈なる特殊の熱血家といふを得べし」
 この束松露香は1900年(明治33年)「俳諧寺一茶」を信濃毎日新聞紙上に連載し、一茶の作品と生涯が総合的に紹介した人として知られているほか「父の終焉日記」「九番日記」の名づけ親でもあります。
 島崎藤村「一茶は詩歌の上で極度にまで自己を打ち建てていった詩人だ。彼ほど自己を中心として、『我』とか『己』とかの言葉を憚(はばか)らず使用した人は俳諧の世界にめずらしい。」
 正岡子規−−−ブログ一茶の生涯6参照
一茶「雪ちらりちらり見事な月夜哉」「心から信濃の雪に降られけり」
引用参考文献:矢羽勝幸資料監修「一茶ゆかりの里」38p,54p,55p一茶ゆかりの里、千曲山人著「一茶に惹かれて」文藝書房

この記事へのコメント
Re:一茶の生涯10 by モリノブ

 一茶が梨を求めて探し回るのは、当時は歩くのだから、大変でしょうね。でもこんな風に詳細に残されているのも驚きです。
 

モリノブ様Re:一茶の生涯10 by 内藤

一茶の日記は、結構どろどろした記述が多く、泥臭い感じがします。そういうところが農民詩人と言われる由縁かもしれません。信濃町から善光寺まで今でも約20kmくらいありますから、昔の人はよく歩いたものだなと感心します。山道でもありますし。

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