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2008年02月05日 一茶の生涯11

 信濃町大井(2007/10/10撮影)から。もう少し行くと一茶の母の実家(仁之倉)へ。母の実家は生涯にわたり一茶を支えたようです。

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 一茶の年表(一茶の生涯と文学)を見ていましたら「1811年6月、49歳、富津の大乗寺で最後の歯を失う。」の記述がありました。
 一茶は歯周病(歯槽膿漏)で苦しんだことは前のブログ(2007/2/15・地方の入歯師)でも紹介しました。
 49歳のときの日記「よはひ草」に「あはれあが仏とたのみたるただ一本の歯なりけり。」とあり、残った一本の歯で苦労しているようすがうかがえます。49歳以降、やわらかいものしか食べられなかったことでしょう。
一茶「初霜や茎の歯ぎれも去年迄」
 これは「歯が抜けてしまい、しゃきしゃきと歯切れよく食べたのも去年までという感慨」(「一茶に惹かれて」より)とのこと。 
 それに文献(歯の神様)に一茶の俳句が載っています。前にも紹介しましたが。
 文献作者(歯医者さん)の方もすごいものです。このような句を捜し出されたのですから。
「すりこ木のやうな歯茎も花の春」
「かくれ家や歯のない口で福は内」
 前に美術館へ行ったとき、一茶は門人の奥さん方からいやがられていたと聞きました。なんでも体臭が臭かったとか。もしかしたら口臭の影響もあるのかもしれません。
 私は甘いもの?を食べすぎの影響から虫歯だらけで人の何倍も歯医者に通いました。今思えばもう少し歯磨きしていればと。
 歯周病や歯痛で苦しんだ歴史上の人物は多いようで、例えば親鸞聖人や徳川六大将軍の正室熙子など。
 文献(徳川将軍家十五代のカルテ)に「増上寺から発掘された六大家宣の正室熙子の骨格は全体にきゃしゃで、あごの骨の発達が悪く、歯槽膿漏のため歯はすべて脱落していた。生前、絶世の美女といわれた十一代家斉の正室寔子は遺骨をみると歯の噛み合わせが少なく、固い物はほとんどたべていなかったことがわかる。」と記述。
 また同文献に「徳川十四代将軍(略)家茂はふだん甘い物に目がなく、増上寺から発掘された遺骨でも実に三十本の歯が虫歯におかされていた。虫歯がもとで体力と抵抗力が低下して脚気の悪化に拍車がかかったともいえる。」とありますから、上には上がいるものです。
 江戸時代、歯の神様(神社・祠・石塔)があちこちにあり、痛くなるとお参りしてたそうですから今の時代はいいですね。今、歯が痛くなったらすぐ歯医者に行けますし。
 文献(歯の神様)にありましたが、江戸時代に木で造った入れ歯の技術は世界一とか。それだけに歯で苦しんだ人は多かったのでしょう。

引用参考文献:矢羽勝幸監修「一茶の生涯と文学」一茶記念館、千曲山人著「一茶に惹かれて」138P文藝書房、神津文雄著「民族への旅 歯の神様」84p銀河書房、篠田達明著「徳川将軍家十五代のカルテ」155p,174p,175p株式会社新潮社

この記事へのコメント
Re:一茶の生涯11 by モリノブ

 昔は歯が抜けるとどうしょうもないと思っていたら、木の入れ歯があったのですね!驚きです。私も内藤さんと同じで、甘いものが好きで、虫歯だらけでした。過去形なのはすでに残り少ない・・虫歯の話で、よけいに一茶に親近感を覚えます。

モリノブ様Re:一茶の生涯11 by 内藤

木の入れ歯は高価なもので庶民にはなかなか手に入らなかったそうです。義歯で有名な柳生宗冬のは義歯床がツゲで彫刻され、歯は鑞(ロウ)石で作られたものだそうです。ツゲは駒やクシ以外にもいろいろ利用されていたようです。

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