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2008年02月11日 一茶の生涯16

 中野市市街地にある袋屋美術館(個人)には、一茶の愛した庭園「楳装園(ばいそうえん)」があります。一茶はこの庭園が気に入りたびたび訪れていました。
 ここはその庭園(2007/5/24撮影)のようす。突き出た石が「一茶の座禅石」と呼ばれています。
袋屋清左衛門邸袋屋美術館
http://park2.wakwak.com/~fukuroya/frame.htm

20080211-1.jpg

 同館案内パンフレットによると[一茶は「楳装園」をたいへん愛していました。この庭は、有名な国学者本居宣長の養子本居太平(1756〜1833)の構想によるもので、庭は回遊式で突き出た船形石など随所に特色をもたせています。一茶はこの庭を散歩したり、日向ぼっこをしながら無心に、庭ごしの大空を眺めていたといいます。特に船形石が気に入っていて、この石にひっくり返ってもの思いに耽っていました。そんなことから、いつの間にかこの石を「一茶の座禅石」と呼ぶようになりました。]と紹介。
 この美術館の方にお伺いしたら、よくこの石に寝そべっていたそうで、確かにそんな雰囲気です。ここは江戸時代から味噌・醤油の醸造を営む商家(今も)で一茶晩年の支援者、かつ、門人(梅堂・梅塵父子)でもありました。一茶はこの袋屋邸を気に入って長逗留したとか。でも当家の奥様方には、一茶がいつも汚い服で来るのでいやがられたそうです。館内にその句が残っています。
 また、同「小林一茶が当家を訪れたのは、文化文政期のことです。門人たちが集まり、歌仙が行われました。歌仙は三、四人で行いますが、俳句が三十六できると終わりになります。本来即興でつくるのですが、なかなかすぐに出ないのであらかじめ用意した自分の秀作を出すならわしだったといいます。」とあり、句会がたびたび開かれていたようです。
 私もここを訪れましたら気に入り、また行きたくなりました。
 これがきっかけで一茶に興味を持ったのですから不思議なものです。
一茶「けふからは 日本の雁ぞ らくに寝よ」
 それに、ここには吉川英治随筆集にも登場する「勤王家 浮田一恵」(注)に関する資料もあって興味深い美術館でしょう。
(注)父は浮田博文といい豊臣秀吉の武将である浮田秀家の子孫。
引用参考文献:袋屋清左衛門邸袋屋美術館パンフレット

この記事へのコメント
Re:一茶の生涯16 by モリノブ

 一茶の風体が浮かんできます。身なりを気にしない人だったのでしょうね。どうして、一茶の一句一句は、難しい言葉を使っていないし、覚えやすいのに、情景が浮かんで来るのか不思議です。

モリノブ様Re:一茶の生涯16 by 内藤

一茶の足は人一番大きかったようです。洗濯をあまりしなかったせいもあって門人の奥さん方はいつも迷惑だったようです。口臭も臭かったようですし。一茶の句は確かに情景が浮かんできます。それが共感を呼んで支持を集めたのかもしれません。
一茶「馬の子も旅に立也秋の暮」

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