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2008年02月13日 一茶の生涯17

 山ノ内町の湯本旅館敷地内にある「一茶・井泉水記念俳句資料館湯薫亭(とうくんてい)」(2007/9/13撮影)、ここには「我春集」「株番」「九番日記」など一茶晩年の貴重な日記類が保存されています。
 この旅館の当主湯本希杖(きじょう)、其秋(きしゅう)父子が一茶の門弟、かつ、支援者であった関係上、一茶は晩年この旅館に152日逗留するほど頻繁に訪れました。
湯田中 湯本
http://yudanaka-yumoto.com/

20080212-1.jpg

 一茶は温泉が好きだったようで湯に関する句を数多く残しています。
「雪ちるや わきすててある 湯のけぶり」「子どもらが 雪喰いながら 湯治哉」
「(田中湯本にやどりて)座敷から 湯にとび入るや 初時雨」
 それに、この資料館の展示品で驚いたのは病気に対する対処法や処方箋のような日記があったこと。一茶は51歳のときデキモノをわずらい75日間寝込んだほか、58歳のとき中風になって62歳で再発し言語障害になったりしています。また、ほかにもいろいろな病気を患っているので健康に気を使っていたようです。何回か雪道で転んでいたようで、考えてみれば昔、靴はわらじ類でしょうからすべったことでしょう。
 この地域(渋温泉)のことは前のブログ(2007/5/11・行基の業績2)でも紹介しましたが、昔から知られた温泉地帯で湯量が豊富なことで知られています。私もこの辺にくるとたいてい湯田中駅に隣接している温泉(楓の湯)に入ってしまいます、自営業の特権でしょうか。
それに関係ないですが、芸能人の清水アキラ氏の出身地(湯田中)が近くにあります。

 山頭火、尾崎放哉の師として知られる荻原井泉水は、一茶の顕彰に努めました。彼がいなかったら一茶はまったく日の目を見なかったといわれるくらい。
 同館パンフレットによると「松尾芭蕉の研究家でもあった自由律の俳人荻原井泉水は、大正6年(1917)当家の一茶資料を見てから一茶の偉大さにうたれ、これを研究出版し一躍一茶が世に知られるようになりました。」と紹介。この出版物には「父の終焉日記」「一茶真蹟集」などがあります。
 きっと一茶は、後年自分を高く評価してくれたことを天国で感謝しているでしょうね。
荻原井泉水
http://www.suien.net/seisensui/
引用参考文献:一茶・井泉水記念俳句資料館湯薫亭パンフレット、矢羽勝幸監修「一茶の生涯と文学」一茶記念館、千曲山人著「一茶に惹かれて」文藝書房

この記事へのコメント
Re:一茶の生涯17 by モリノブ

 私もこの頃、あちこちの温泉に入るのが楽しみです。
 荻原井泉水という名前は知りませんでした。興味深々です。でも長野は文化的なものが、どうしてこんなに育つ環境なのでしょうか?
 一茶を見出すのも、一茶の存在も、素晴らしいですね。
 

モリノブ様Re:一茶の生涯17 by 内藤

長野は気候が厳しいせいもあるのでしょうか。我慢強いところがあるのかもしれません。荻原井泉水は、一茶の人間的なところにひかれたそうです。私も最初、一茶は嫌いな人物でしたが、よく知るようになってからファンになりました。人間的な魅力にあふれたところがあるのでしょうか。

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