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2008年02月19日 一茶の生涯22

 新潟県の妙高高原(妙高市)にある妙高ふれあいパークより(2008/2/16撮影)。この日は三男のフットサルの大会(第3回妙高雪ん子フットサル大会)で。思ったより雪が多くて驚きました。

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 一茶は3回結婚しています。最初の奥さんは信濃町赤川出身の農家の娘(28歳)、二番目は飯山藩士の娘、三番目は妙高高原二俣の農家の娘(子連れ再婚)さんでした。三番目の奥さん(ヤヲ・明治元年1868年没)を紹介したのが関川浄善寺の指月上人だったことや門人がいたこともあってたびたび妙高高原(妙高市・信濃町隣接)を訪れていたようです。

 一茶が友人や門人に送った別れの句で印象的なものを紹介します。
「雪の山見ぬ日となれば別れかな」−−飯綱町赤塩の門人可候(滝沢家)に
「(十萬億土よい連れなれど小用あり後から)先へ行って下冷えぬ場を必ずよ」−−春耕家の番頭皐鳥に
 私はこの下の句が一番好きで文献(北信濃遊行)によると、
「あの世まで一緒に往きたい良い連れなんだが、まだ少しこの世に用があり後から往くので、先に行って下冷えしないところを探しておいておくれ、必ずだよ」と解説しています。
文政七年ですから一茶が死ぬ3年前のことで、私もこの句を詠んだとき涙してしまいました。なんとなく昔の友人や亡先生方を思い出して。
 一茶の死後(文政10年11月19日享年65歳・1827年没)、翌年娘(ヤタ・明治6年1873年没)が生まれたほか、孫(ヤタ長男1849年及び二男1852年出生)が生まれてますから一茶は天国できっと喜んだことでしょう。
 遺産相続で争った継母(文政12年・1829年没)や義弟(享年60歳・1831年没)も一茶死後間もなく亡くなり騒動のことを知る人は減っていきました。
 一茶のすごいところは、俳句の世界においてたとえ師匠たりとも門人・弟子と同じ立場という点。これは他の著名な俳人が家元や結社制度を作って多数の門人をかかえ権威づけしていたのとは、大きく異なります。
 考えてみれば結社制度を嫌った松尾芭蕉も一緒、自由人として生きたかったのでしょうね。ちょっとわかるような気がします。
引用参考文献:「一茶の信濃路」越後関川、千曲山人著「一茶を探りて」文藝書房、宮川洋一著「北信濃遊行」189pオフィスエム、小林計一郎氏執筆「長野第60号 一茶の風貌と性格(二)」長野郷土史研究会機関誌、矢羽勝幸著「一茶大事典」株式会社大修館書店、矢羽勝幸著「小林一茶」勉誠出版
<追記>
 一茶シリーズを22回続けてしまいました。生意気にも俳句を全く知らないのに。失礼しました。

この記事へのコメント
Re:一茶の生涯22 by モリノブ

 師匠たりとも門人、弟子と同じ、その精神は凄いですね。一茶の人となりは全然知りませんでしたので、新鮮な驚きでした。とっても人間味があって一茶が身近に感じます。ありがとうございました。またいつか続編をお願いします。

モリノブ様Re:一茶の生涯22 by 内藤

先生、ありがとうございました。ちょっと評価していただけるとうれしくて、続編を作りたくなります。一茶の遺産相続争いを嫌う人が多いですが、よく知るとあまり関係なく思えます。一茶は人は皆、平等という精神で、こと俳句の世界においては同じと考えていたようです。私の師匠と同じだなと思いました。

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