社長ブログ

ブログ内検索

2008年03月09日 穂高の芸術

 穂高の碌山美術館入ったところに展示してある荻原碌山作「労働者」の彫刻。明治42年文部省展覧会出品時には手足があったそうですが、その後碌山は膝から下の両足及び左手を切り取ってしまったそうです。芸術家らしい振る舞いで私なら到底考えられません。

20080309-1.jpg

 荻原碌山(おぎわら ろくざん1879〜1910)は、32歳の若さで亡くなった明治期の彫刻家で近代彫刻の父と言われています。五人の男兄弟の末っ子として生まれ、家業の農業を20歳ぐらいまで手伝っていたようです。その後、フランス、アメリカで修業し、イタリア、ギリシャ、エジプトへ旅行で訪れています。渡航・生活費は言うに及ばず、アトリエの土地代、建築代金などは三人の兄が面倒を見たとのこと。明治時代ですからたいへんだったことでしょう。
 碌山がフランスから帰るとき、尊敬するロダンに今後誰を先生と仰いだらいいのでしょうかと聞くくだりが文献(荻原守衛と碌山美術館)にあります。これに対しロダンは
「君はわたしの作品ばかりでなく、ギリシャやエジプトの傑作にしたところが、それらを手本になどと思ってはならない。仰ぐべき先生はどこにでも存在しているのではないか、それは自然だ。自然を先生として研究すれば、それが一番よいことではないか」と言ったそうです。何か味わい深い言葉。あのロダンが身近に感じられます。
 それに15歳のとき相馬愛蔵(注)と知り合い、帰国後新宿中村屋の近くにアトリエを造っています。友人、かつ、良き支援者であったようで。
 そういえば新宿中村屋のカレーは好きで何回か食べに行きました。家内も1回連れて行きましたし。
 作品を見てて一番印象に残ったのが「北条虎吉像」。生きているようでちょっとびくっとしました。友人の高村光太郎が絶賛しているほか、[また石井鶴三は、当時を回想して、「一目見て小生はこの作に魅せられ、その前を去りかねて、いつまでも見入っていたことが昨日のように思われる。」(荻原守衛と碌山美術館)と言っています。
 でも不思議なもので私が学生の頃見たときは何も感じませんでした。46歳になって少しは人間的?に成長したのかも。
 ちなみにこの作品は肖像彫刻の傑作と言われているそうで石膏原型が重要文化財指定されているほど。
 わずか32歳の生涯なのに「坑夫」「文覚」のほか「女」(石膏原型が重要文化財指定)などの傑作を残しています。穂高を訪れたらこの「北条虎吉像」をご覧になってみてはいかがでしょう。ちょっとびくっとくるかも。
碌山美術館
http://www.rokuzan.jp/
引用参考文献:朝日新聞社編「荻原守衛と碌山美術館」64p,89p,90p
(注)百科事典ウィキペディアによると「創業者相馬愛蔵は1901年の創業以来、独創的なパン・食品を作り続けた。1904年にはシュークリームをヒントに現在もポピュラーな菓子パンであるクリームパンを考案した。1927年には中国に行った時知った包子を、中国人向けの味付けから日本人向けに改良し、「中華饅頭」として売り出した。これが現在の中華まんの始まりと言われている。1918年に娘がインドの独立運動家のラス・ビハリ・ボースと結婚をしたことから、本格的なカリーの調理を学び、1927年(昭和2年)に日本で初めて純インド式カリーを販売している。」

この記事へのコメント
Re:穂高の芸術 by モリノブ

 碌山美術館は行きましたが、北条虎吉像を見たかどうか忘れました。また是非訪れてみたいですね。32歳で亡くなったとは・・
 私が撮ったこの美術館のベンチの写真で、初めて写真家の西川孟先生に誉められたので良く覚えています。

Re:穂高の芸術 by 内藤

地方の美術館で作品を見ても、その人の生涯とか思いを知るとちょっと変わって見えます。先日、島崎藤村の息子(画家)の作品を見に美術館へ行ってきました。37歳の若さで亡くなってますが、なんとなく思いは理解できたような気がしました。

書き込んでいただいたコメントは、管理者の確認後に公開させていただきますので、ご了承下さい。

お名前
E-MAIL(非公開)
URL
タイトル
コメント
  投稿キー    [キー入力]
 
迷惑書き込み防止のために投稿キーを設定しています。
投稿キーはyuv6です。上記の「投稿キー」にご記入下さい。