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2008年03月10日 アルプス越え

 高さ107mの大町ダム(大町市)手前から見る風景。ウルトラマンやウルトラセブンの身長(40m)の2倍以上の高さを誇るダムは、さすがに威厳があります。
 それに背後に見えるのは蓮華岳や針ノ木峠のある針ノ木岳でしょうか。何か深淵さが伝わってきます。
大町ダム
http://www.hrr.mlit.go.jp/omachi/

20080310-1.jpg

 この山々を見ていて佐々成政がアルプス越えをしたことをふと思い出しました。昔からほんとうに越えたのか疑問に。
 文献(北アルプス白馬連峰)に「天正13年、富山藩主佐佐成政を富山城に破った加賀藩主の前田利家は、その褒賞として、秀吉から越中の大部分をもらって支配することとなった。その前年、成政がひそかに雪のアルプスを越えて、浜松の家康の所に協力を求めに行った事実を知った利家は、成政が支配していた領地が自分のものとなると、その警備のためにも北アルプスの山の状況を知りたかった。そこで、越中領内の治安が一応済むと、慶長三年(1598)二月、黒部谷浦山村の百姓で奥山の地理に詳しい松儀伝右衛門を召して、黒部奥山の状況を聞いた。話の内容は後世に伝えられていないが、伝右衛門は、後に「黒部奥山廻役(まわりやく)」に任命されていることや、利家の後を継いだ利常じきじきの状況調査がされていることなどからして、(略)」と記述。
 すごいですね。本当に越えていました。
 利家はアルプス越えのルートに相当興味があったらしく、その調査をしたかったようです。100万石のお殿様ですからなかなか実現できなかったのでしょう。
 地理的に長野県と富山県を結ぶ唯一のルートが針ノ木道ですが、冬(12月)に山越えしたそうですから成政は相当切羽詰まっていたようです。この山越えでは熊の皮をまとっていたとか。熊の皮でしたら暖かそう。
 それにしても針ノ木峠にある小屋の標高は2528mくらい、2000m級の山をどうやって越えていったのでしょうね。危険すぎて後に試した武将はいないようです。
 佐々成政のアルプス越えの詳しいことは下記サイトで。
教えて!goo 佐々成政「さらさら越え」について
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2289563.html
佐々成政関連リンク集
http://www.ccis-toyama.or.jp/toyama/kachi/narimasa/narimasa_link.html
引用参考文献
長沢武著「北アルプス白馬連峰 その歴史と民族」13p,14p株式会社郷土出版社

この記事へのコメント
Re:アルプス越え by モリノブ

 佐々成政は名前しか知らなかったのですが、気骨のある武将ですね。さらさら越えは報われなくても歴史に名を馳せた名将ですね。家康はイヤなタイプですが、だからこそ天下を取ったのでしょうか・・

Re:アルプス越え by 内藤

知人の話では富山県では人気のある武将だそうです。アルプス越えの先導役はもちろん猟師ですが、いい仕事をしたものです。前田利家はアルプスの鉱山にも興味を持ったと言われています。

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