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2008年04月10日 信濃力士伝6

 真田祭りのときの松代城付近(2007/10/8撮影)のようす。真田祭りは毎年参加していて、昨年のマジックショーは連れて行った子どもたちに好評でまた行きたいと。

20080410-1.jpg

 この松代城北側に位置する松代町西寺尾出身の槍ケ嶽という力士が大正時代活躍しました。台湾巡業中マラリアに冒され、それが悪化し現役中にわずか31歳で亡くなった力士、大成を逸したことが今でも惜しまれます。十両を四場所で通過し、幕内に入って3年目という、これからというときでしたから。
 文献(信濃力士伝)によると「幕内在位は三年六場所、この間に同門の横綱栃木山の土俵入りに、太刀持ちの常陸岩と並んで、露払いをつとめたことがあった。最高位は前述の通り、十三年五月場所の東前頭九枚目であったため、上位力士との対戦は少なく、目立った殊勲星もなく、わずかに後の大関清水川を一度破ったくらいのものであった。幕内在位中の総成績は二十四勝四十敗、勝率三割七分五厘、新入幕までの高勝率にくらべると遙かに見劣りがする数字に低下してしまったが、これは前述のマラリアによる不振が大きく影響したものと思われる。しかし、新入幕当時すでに二十八歳、前述したように小兵力士であったにもかかわらず、幕内中軸まで昇進したことは、むしろ偉とすべきであり、マラリアの病魔に冒されなければ、新入幕までの快調を入幕後も維持し、上位に進出し得たかも知れない。(略)
 再度に亘る国技館炎上、三河島事件、大阪相撲との交流活発化、両協会合併問題の抬頭、連盟大相撲等、大相撲界の波瀾、起伏が絶えなかった大正の変転激動期に力士としての全生涯を過ごし、両協会合併後の昭和大相撲興隆時代を全く知ることなく、その合併に先立つわずか半年余りで、巡業先において寂しく他界していった槍ケ獄の不運を思い、その冥福を祈ってやまない。」と記述。
 最高位は前頭九枚目、ただ文献(更級郡・埴科郡人名辞書 復刻版)には前頭3枚目になっているとか。
大正十三年五月場所幕内番附表
http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/bindex/b192405.html
 この三河島事件で横綱大錦は、事件の責任をとって自らの手でまげを切り廃業したそうですから大事件だったようです。それに昭和 7年春秋園事件が起こったりと当時お相撲さんの生活はたいへんだったことがうかがえます。
大正12年・三河島事件
http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/kiroku/kt1201.html
昭和 7年春秋園事件
http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/kiroku/k00701.html
 百科事典ウィキペディアに第二次世界大戦時マラリアにたくさんの人がかかって亡くなった記述があります。そういえば父の友人の方もこれだったような。今と違って対策が不十分だったのでしょう。
 昭和32年(1957)になって松代の市街地にある祝神社境内で槍ケ嶽追善供養相撲大会が開かれた(信濃力士伝の記述)そうですから、天国で喜んだことでしょう。
引用参考文献:信濃教育会更級部会・同埴科部会編「更級郡・埴科郡人名辞書 復刻版」象山社、中村倭夫著「信濃力士伝 明治大正篇」120p〜122p甲陽書房

この記事へのコメント
Re:信濃力士伝6 by ルン

三河島事件に春秋園事件。
今も昔も、ややこしいのは同じですね。
それでも、この時代の人たちのほうが頑固のような気がしました(よい意味でも悪い意味でも)

マジックショー。
どちらかと言うと、女の子より男の子に人気があるような気がします。
なぜでしょう??

ルン様Re:信濃力士伝6 by 内藤

両事件ともに力士が自分たちの地位向上のため立ち上がったもので、すごいことです。
マジックショーは芸だけでなく、お笑いがリラックスさせてくれていいのかもしれません。

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