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2008年04月12日 信濃力士伝7

 長野市松代町を流れる神田川。度重なる水害対策と親水のため河川改修工事がおこなわれ、ご覧のとおりに。全国に神田川という河川多いですね。東京都、広島市、下関市、富士宮市など。川よりかぐや姫のヒット曲のほうが有名でしょうか。

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 明治時代、松代町出身の神田川という力士がいました。
 文献(更級郡・埴科郡人名辞書 復刻版)によると「明治時代の角力大関。松代肴町の人。(略)京都角力(異説名古屋)の大関となる。明治36年10月松代町祝神社境内で興行をしたと伝ふ。東京大角力鷲ケ浜・二十山の両関肝煎りにより、行司免許を与へられた。木村長之助と号した人である。」と記述。
 ただ、番付によると明治35年7月場所と同36年5月場所において西関脇だった星取表(京都相撲)が残っています。(信濃力士伝による)
 神田川は松代町市街地を流れる川の名前からとったようです。
 昔から川がつくお相撲さん多いですね。出身地の川や山の名前はお相撲さんにとってつけやすいのかもしれません。強そうな響きもありますし、そういえば千曲川という力士もいましたが活躍できなかったそうです。

 江戸時代から大正時代まで大きな相撲組織は江戸相撲、大阪相撲、京都相撲の三つほどありました。あと名古屋相撲や広島相撲もあったとのこと。それぞれ単独で興行したり、江戸大阪合併興行や江戸大阪京都三府合併興行を催したりと。大阪相撲は大正末期まで存在していたようです。
 百科事典ウィキペディアによると「18世紀後半までは江戸相撲(のちの東京相撲)をしのぐ隆盛を誇った。しかし、寛政年間に江戸相撲が谷風、雷電らの活躍で盛り返すと、参勤交代制度で江戸詰めを強いられる諸大名が抱え力士を江戸相撲に出場させることを好む様になり、徐々に相撲の本場の座を江戸に奪われることになった。」と記述。
 大阪相撲の用語で有名なのが「タニマチ」でしょうか。これが谷町を意味しているとは知りませんでした。カタカナだと全然違う言葉を連想してしまいます。

 神田川が属した京都相撲の実力はどのくらいだったのでしょう。
 文献(信濃力士伝)に「神田川は、前述のように、衰退期にあった京都相撲において、関脇まで昇ったということで、信州出身力士としては、大関雷電に次ぎ、関脇高登と、番付面では同地位ではあるが、東京力士と比較した場合の実力は、その最盛期でも、十両上位か、よくても幕尻近くの平幕下位、桁外れに大目に甘く評価しても幕内中軸というところではなかったかと思われる。」と記述。
 たとえ京都相撲の関脇でもすごいことでしょう。京都ではあこがれた子供たちが多かったと思います。神田川は現役中生活がたいへんだったようですが、資料が少なく生年月日、没年、子孫、活動状況等詳しいことはわかっていません。ただ力士、行司、弓取り、太刀持ちまで勤めたらしく、オールマイティなお相撲さんでしたから、人々の心に残ったことでしょう。
引用参考文献:信濃教育会更級部会・同埴科部会編「更級郡・埴科郡人名辞書 復刻版」象山社、中村倭夫著「信濃力士伝 明治大正篇」59p〜61p甲陽書房

この記事へのコメント
Re:信濃力士伝7 by モリノブ

 神田川という人のキャラクターは、今でいうマルチなのでしょうね。江戸、京都、大阪相撲というのがあったのは知らなかったです。今の地方巡業はその名残でしょうか。お相撲さんは、川、山とつくシコ名が多いですね。

モリノブ様Re:信濃力士伝7 by 内藤

コメントありがとうございます。
神田川は41歳頃亡くなっていまして、生きていたら立派な親方になっていたと思います。松代町は真田藩の中心地でしたから相撲が盛んな所だったようです。こういった無名に近い人でも生涯やいわれを知るとうれしくなります。そのうち幕末特集を考えています?

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