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2008年04月14日 信濃力士伝8

 東御市滋野にある復元された雷電の生家(2007/2/1撮影)。信濃力士の代表といったら雷電でしょう。そんなわけで雷電シリーズを4,5回ほど続ける予定です。

20080413-1.jpg

 いろいろな理由(数々の説あり)から横綱にはなれませんでしたが、相撲歴史上最強の力士として知られています。
雷電
http://www.city.tomi.nagano.jp/manabu/bunkazai/raiden_seika.html
 下の勝率表(信濃力士伝より引用・最高位は筆者追記)をご覧になっていただければ一目瞭然かと。
力士名   ※場所数 ※勝数 負数  勝率 順位 最高位
雷電為右衛門  34   254   10  96.2%  1  大関
※梅ケ谷藤太郎 20   116   6   95.1% 2  第15代横綱
谷風梶之助   44   258   14  94.9%  3 第4代横綱
陣幕久五郎   15   87    5  94.6%  4 第12代横綱
小野川喜三郎  21   144   13  91.7%  5 第5代横綱
稲妻雷五郎   23   130   13  90.9%  6 第7代横綱
常陸山谷右衛門 25   150   15  90.9%  6 第19代横綱
太刀山峯右衛門 26   195   27  87.8%  8 第22代横綱
栃木山守也   21   166   23  87.8%  8 第27代横綱
大鵬幸喜    64   743   135  84.6% 10 第48代横綱
双葉山定次   29   275   66  80.6%  11 第35代横綱
※場所数=幕内出場場所数
※勝数=幕内在位中勝数
※梅ケ谷藤太郎=初代
 寛政2年(1790)24歳でデビューし、文化八年(1811)45歳で引退するまでの21年間活躍していました。
 雷電(太郎吉)の小さい頃には数々の伝説が残っていて、例えば文献(雷電為右衛門「上」)によると「あるとき、松井田からの戻り、碓氷峠の「はんね石」で、加賀百万石の大名、前田候の参勤交代の行列と出合った。道は狭い、馬は放せない。よける時間もない。万策つきた太郎吉は、積み荷もろとも馬をかつぎ、肩にのせて路傍に立ったまま、行列が通りすぎるまで、踏んばり通したというのである。」と記述。
 ちょっとあり得ない話ですが、上記勝率を考えるともしかして。
 それに強すぎたためか「張り手」「閂(かんぬき)」「突っ張り」の三つの決め手が使用禁止だったとか。講談では猛烈な張り手で相手の関脇を殺してしまったためとされています。
身長は1.97m、体重169kg(雷電為右衛門「上」の記述による)ですから、強く大きくて相手は恐れおののいたことでしょう。
歴代横綱は下記サイト参照。
横綱一覧(百科事典ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%B6%B1%E4%B8%80%E8%A6%A7
引用参考文献:中村倭夫著「信州力士伝 江戸時代篇」115p甲陽書房、小島貞二著「雷電為右衛門(上)」12p,18p學藝書林

この記事へのコメント
Re:信濃力士伝8 by モリノブ

 雷電の名前は知ってい増したが、凄い勝率ですね。ほとんど全勝です。将棋ではあり得ないと思います。24歳から45歳までというのも、よく体力が持ったものです。横綱になっていないのが、何とも味わいがあります?
 

モリノブ様Re:信濃力士伝8 by 内藤

雷電が出場しない場所は不人気で客が入らなかったそうです。関係者は雷電引退後、横綱にしなかったことを悔やんだことでしょう。
これからちょっとの間雷電の意外に知られていない一面(人間性)を紹介する予定です。

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