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2008年04月18日 信濃力士伝11

 上田市長瀬にある「石尊之辻」の碑。ここで雷電は15歳から2年間ほど相撲修業をすることに。そして17歳で江戸へ行きました。

20080418-1.jpg

 碑には雷電の手形(生家にある本物の手形をもとに)が象られています。雷電は左利きで、現存する手形の大半は左手で押してあるそうです。それに当時(昭和51年)、日本相撲協会・先々代理事長時津風定次氏(元・横綱双葉山)の揮毫が縦に彫られています。(信濃力士伝より)
 あの69連勝の双葉山ですか。今でも横綱の連勝が続くと話題にでますね。
 関係ない話ですが、私の母が仕事で福井県にいる頃、巡業で双葉山と同部屋の羽黒山(第36代横綱)が食事するところを見たことがあり、何でも大きな茶碗にご飯を山盛りにしてあったのがうらやましかったそうです。横綱でしたから、食糧難の時代でもいっぱい食べられたのでしょう。
 羽黒山は双葉山に隠れた存在だったようですが強かったとのこと。ただ、百科事典ウィキペディアによると「熱に弱く、37度程度の熱で大騒ぎしたという」とありますから私と一緒でちょっとほっとします。人間的で。
 ここ現地の案内板に「その昔、信濃國屈指の霊地であった石尊社に、元禄の末期、時の名主が相撲の辻をこの地に開いたのが、石尊の辻の起源である。その後、宝暦年間、江戸相撲浦風一門の隠し稽古場として秘かに弟子を育成し、江戸相撲の名力士、更科兵吉、雷電為右衛門、稲川政右衛門、小柳常吉、白真弓肥太右衛門等が生まれた。
この石尊の辻も二百年余年の長きに亘り継続されたが、依田川の大洪水により荒廃し、現在では辻としての形跡もないが、古来は数多くの名力士を生んだ相撲史上まれに見る名跡である。」と紹介。この道場は上原道場と呼ばれています。
 この中で白真弓(しらまゆみ)肥太右衛門が有名でしょう。
 文献「雷電為右衛門(上)」に「幕末の頃には、巨漢で鳴らした白真弓肥太右衛門−飛騨の国(岐阜県)大野郡白河郷の出身で、嘉永六年(1853)11月、幕内付出しで初土俵を踏み、このとき二十一歳で、六尺八寸六分(2m07cm)、四十貫五百(152kg)の巨躯(きょく)で、一人土俵入りを行った。黒船来航の折、一人で五斗俵八俵をかつぎ、青い目の連中を仰天させた逸話で有名」とありますから。
 下記サイトによると五斗俵八俵=572kgだとか。それは驚いたことでしょう。
 ちなみに現在の重量挙げ世界記録は263kg(クリーン&ジャーク・105kg超)とのこと。
怪力力士 白真弓
http://www6.plala.or.jp/ebisunosato/sumou.htm
 今では住宅地ですので想像もできませんが、たくさんのお相撲さんが稽古に励んだことでしょう。立身出世を夢見て。
引用参考文献:中村倭夫著「信濃力士伝 江戸時代篇」180p,181p甲陽書房
小島貞二著「雷電為右衛門(上)」19p學藝書林
参考サイト:重量挙げ
http://www.geocities.jp/macshoji77/weight/what.html

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