東御市道の駅にある雷電の銅像、ひっそりと見守ってくれているような気がします。
お知らせがあります。実はこれが最後のブログになるかもしれません。
先週末、長男に病気が見つかり月曜日に緊急手術、その後の経過はあまりかんばしくない状態が続いています。もうブログを続ける意欲や時間が無くなりました。
また、ホームページの問い合わせやブログの返答も同様に中断します。誠に申し訳ございません。今までご覧になっていただいたり、コメントをいただいた方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。
雷電は奥さんを非常に大事にしたようです。
雷電の墓は全国に四つありますが、その一つは佐倉市臼井に夫妻の墓(4歳で亡くなった女の子のも)としてあります。
臼井は奥さん(お八重)の故郷で、雷電は巡業を含め何回か訪れたほか、晩年かなり長期にわたり滞在してました。雷電にとっては第二の故郷とも言えるでしょう。
文献(雷電為右衛門)に「九州巡業のとき、江戸の愛妻のもとへ、次から次へと、九州土産を送る。毎日のようにとどく荷物に、八重夫人もさぞ整理に困ったことだろう。」とあり、長崎であつられた高級反物類や伊万里・有田焼の焼き物を頻繁に送っていたようです。もともと佐倉市に巡業のとき、茶屋の娘さんだった夫人を一目惚れしたとか。夫人は美人だったようでいつの時代でも男は美女に弱いようです。
東京にいた頃、佐倉市には事務所先輩の自宅があるので訪ねたり、仕事で何回か行きましたが、まさか雷電由来の史跡がたくさんあるとは?
雷電為右衛門(らいでんためえもん)
http://www.city.sakura.lg.jp/syoko/kanko/raiden.htm
引用参考文献:小島貞二著「雷電為右衛門(上)」112p,221p,222p學藝書林