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2008年09月29日 地積測量図の歴史(下)

飯綱町川上地区のようす。
そういえば小学生の頃、稲刈り休み(1日)が楽しみでした。

20080928-1.jpg

昨日のつづき。
文献によると
「(3)平成5年以降に作成された地積測量図
 上記の状況を踏まえ,平成5年に旧不動産登記法施行細則が改正され,「地積測量図には,境界標があればこれを記載し,ない場合には,適宜の筆界点と近傍の恒久的地物との位置関係を記載しなければならない」(平成5年省令32号による一部改正後の旧細則42条ノ4第2項)とされた。これにより,地積測量図の現地特定機能は強化されることになった。また,この時期,地価の高騰から所有者の権利意識も向上し,境界立会い・確認よりも厳密に行われるようになったため,この時期以降の地積測量図は本来有すべき機能を有しているのもと評価できる。
(4)現行法下の地積測量図
 平成16年の不動産登記法の改正に伴い,不動産登記規則により筆界点の座標値を地積測量図に記録すべき事項とし,かつ,その測量に当たっては,基本三角点等に基づいて行うべきことが示された(規則77条1項7号)。これにより,地積測量図の作成に当たっては,公共座標に基づく作成を基本とすることが示されたことになり,同図面の現地特定機能が一層高まることとなった。」と記述

 仕事柄、地積測量図を見る機会は多く、図面上の境界標にいろいろな種類を見かけます。コンクリート杭、プラスチック杭、石杭、金属プレートなどなど。たまに木杭、金属鋲、コンクリート壁角等も。
 ちゃんとした境界標だけでなく"刻み"とか"刻印"であったり、杭の代わりに"ペンキ"や"ペイント"と表示されてたりと。担当された土地家屋調査士のご苦労がひしひしと感じられます。

 (3)では、境界標があれば必ず記載すること、なければ下記のように筆界点と近傍の恒久的地物との距離、角度等により位置関係を記載するようになりました。
例 ´△竜離 47m ´△亮方位角 75° 842番4東南の図根点
 昭和30後半〜50年代の地積測量図といえば手書きが多く、底辺×高さの表示のみで境界杭の表示がなかったことを考えれば平成5年頃以降は大きな変わりようでしょう。
 前に筆界部分の詳細としてU字溝の中心が境界線となる記載(0.27mの中心0.135m)があり、ふとこれなら後に紛争になりにくいだろうなと。というのも境界は、当事者双方が取り決めても子供の世代になると不明になり紛争が蒸し返さないとも限りませんから。
 私は境界争いがある、あるいはよくわからないような土地は、評価において減価要因と考えています。境界標が多く、しっかりと現存しているような土地と比較してみればどちらのほうが市場性があるか言うまでもないでしょう。もっとも地価水準にもよりますが。
 (4)では、分筆登記における「残地」も求積することが定められたこと(不動産登記事務取扱手続準則第72条)が画期的と言えると思います。残地の登記面積がどうも現況と異なっていそうだと思うことはよくありましたから、今後はそういったことも徐々に減っていきそうです。
 昔、横浜の事務所(石黒先生)に補助者でいたとき測量の手伝いをしたことがありました。すでに光波が普及していた頃でしたが、それでも念のために巻尺で測っていました。機械は信用できるけどちょっぴり不安だとか。
 今では測量にGPSをも駆使するような時代ですが、それでも検証に巻尺は使われているようです。どんなに機器が進歩してもアナログの世界は消えないのかもしれません。
 なお、下記文献には旧耕地整理事業等による整理確定図、震災復興図、戦災復興図、法14条地図に該当しない土地改良・区画整理事業による換地図の解説(180〜183p)がありますので興味のある方はお読みください。
引用参考文献:中村隆/中込敏久監修・荒堀稔穂編集代表「筆界特定制度一問一答と事例解説」179p日本加除出版株式会社

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