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2010年04月06日 ヒスイ海岸

 富山県朝日町の宮崎海岸にて。
 この海岸は別名ヒスイ海岸と呼ばれ、ガイドブックに”もしかしたらヒスイが拾えるかも”とあったので、ちょっと探してみました。そういえば、同じことをテレビ(鉄腕DASH)でも前にやってました。
 この海岸は、砂利浜で砂浜がなく、小石の海岸として知られています。
 1964年、小学校の児童が泥遊びをしていてヒスイの勾玉を見つけたそうですから歴史に残る大発見に日本中が湧いたことでしょう。
ヒスイ海岸
http://www.town.asahi.toyama.jp/site/nature/hisuikaigan.shtml

20100405-1.jpg

 上記サイトにありましたが、近くにある浜山玉つくり遺跡から古代の硬玉(ひすい)の勾玉等を製作した工房跡が出土しています。大和朝廷時代の有力者は、ヒスイの加工品をこぞって欲しがったのでしょう。今も昔も考えることは一緒だと思います。
浜山玉つくり遺跡
http://www.town.asahi.toyama.jp/site/historic/tamatukuri.shtml
 
そもそも勾玉(まがたま)とは?
 百科事典ウィキペディア(2010.4.3)によると「古代の日本における装身具の一つである。曲玉とも呼ばれる。(略)古墳時代前期の古墳から硬玉ヒスイの勾玉が出土することが多い。(略)天皇家に伝わる三種の神器の一つに、八尺瓊勾玉という勾玉が数えられる。」
また、同ウィキペディアに、
”ヒスイ製勾玉は、北海道の「美々4号遺跡」「ヲフキ遺跡」、青森の「三内丸山遺跡」「亀ヶ岡遺跡」、新潟糸魚川の「長者ヶ原遺跡」、長野の「離山遺跡」などから出土されており、縄文中期(BC5,000年)頃からつくられていたことがわかっている。特に糸魚川の「長者ヶ原遺跡」からはヒスイ製勾玉とともにヒスイを加工する工房も見つかっており、蛍光X線分析によると「三内丸山遺跡」や北海道南部で出土されるヒスイは糸魚川産であることがわかっており、縄文人が広い範囲でお互いに交易をしていたと考えられている。”とあり、縄文時代には既に使われていたことがわかります。
 また、海岸の案内板(ヒスイ海岸)に”ヒスイは、漢字で翡翠(ひすい)と書きます。また、翡翠は「カワセミ」という意味を持っています。カワセミは、小魚の泳ぐ清流の近くに棲む「空飛ぶ宝石」と呼ばれる小鳥で、背中から尾にかけて美しい青緑に輝く翡翠色の羽毛でおおわれています。そのカワセミの羽の色に似た美しく鮮やかな石であることからヒスイと名付けられました。(略)”と解説があり、納得、納得。
 長野県小谷村の姫川支流にあたる小滝川ヒスイ峡(糸魚川市・翡翠橋等あり)や青海川硬玉産地(橋立)の新潟県ヒスイは有名(八尺瓊勾玉は糸魚川市産説※あり)なのでヒスイの存在は知ってましたが、富山県に海岸や工房跡まであったとは・・・。

 文献(糸魚川市史1,211p)に「すでに昭和のはじめに、青海川の上流、金山谷(きんざん=だに)で、製炭に励んだ大蔵某(富山県)が、炭焼きのかまに、ヒスイの石を幾らも使っていた。もったいない話である。」とあり、知らなければ色のついた、ただの堅い石なのかもしれません。
 案内板を見ながら”知っているようで知らないことが多いなー”としばらく物思いに浸ってました。

小滝川ヒスイ峡・橋立ヒスイ峡
http://www.city.itoigawa.niigata.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&WIT_oid=icityv2::Contents::1264
Mapion動画「カワセミ」
http://video.mapion.co.jp/channel/watch/17003?src=ranking
※糸魚川市史1,216p”八尺瓊曲玉は、三種の神器といわれ、天皇家/伝世の珍宝である。その成立年代は、弥生(やよい)後期の第二〜第三世紀とみられる。これについて糸魚川市長/中村又七郎は、「三種の神器の一つである曲玉も、小滝産の翡翠(ヒスイ)である、といわれているほどである(市勢要覧/1957年版)」と言及している。”
参考文献:糸魚川市役所編「糸魚川市史1」「糸魚川市史6」

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