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2010年04月15日 ヒスイと古代

前回同様、フォッサマグマミュージアムに展示してあったヒスイ石(翠の雫)。ヒスイ愛好家が発見(H15/9)したもので、これも大きいですね。

20100415-1.jpg

文献(糸魚川市1)によると硬玉製大珠の説明に
「縄文時代/中期の遺跡から、初めてヒスイの玉が出土する。(略)ところで、青八坂瓊(あお=やさか=に)の縄文中期には、大きな鰹節型(かつお=ぶし=がた)の玉も隆盛で、全国各地から発見されている。お隣りの富山県/朝日貝塚のヒスイ大珠は、長さが15.97センチで、日本最大でさえある。(略)
 正始9(248)年ごろには、倭(わ)邪国台(やまたい)国の女王/壱与(いよ)が、中国の魏(ぎ)に、白珠5000孔、青大勾珠2枚を贈っている。青大勾珠は青い大きな勾玉で、中国へ贈るくらいだから、日本の特産する貴品のヒスイである。この時代のヒスイは、やはり糸魚川地方の硬玉である。(略)」とあります。

 邪馬台国の女王は、卑弥呼だけかと思ってました。次の女王がいたとは。

 百科事典ウィキペディア(2010.4.12)によると
"248年頃、狗奴国との戦いの最中に卑弥呼が死去し、男王が後継に立てられたが混乱を抑えることができず、「壹與」(壱与)または「臺與」(台与)が女王になることで収まったという。"
 また、同ウィキペディアに「臺與(とよ、235年頃?−没年不詳)は日本の弥生時代3世紀に『三国志 (歴史書)』、魏志倭人伝中の邪馬台国の女王卑弥呼の親族にして、卑弥呼の跡を継いだとされる女性・壹與のことである。 魏志倭人伝中では「壹與」であるが、後代の書である『梁書』『北史』では「臺與」と記述されている。「台与」は「臺與」の代用。」

 13歳の壱与が跡継ぎになってました。
 ヒスイと古代とのつながりが少し見えてきたような、こないような。
引用文献:糸魚川市役所編「糸魚川市史1」218p

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