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2010年06月19日 中国旅行5

 大連港のようす。
 大連港や葫蘆(コロ)島からたくさんの方が引き揚げてきました。
 引揚者の有名人は数多く、森繁久彌氏、新田次郎氏、山田洋次氏、小澤征爾氏、五木寛之氏、立花隆氏、加藤登紀子氏など。
 その家族の方々は、私と同じように戦争体験をいやというほど聞かされているのではないかと思います。あるいは逆かも。

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「ボクの満州」という文献に中国引揚者(漫画家)たちの体験談がまとめられています。
上田トシコ氏 ”祖国はなれて”
赤塚不二夫氏「メーファーズ」−これでいいのだ!!
古谷三敏氏 ”中国原体験の光と影”
ちばてつや氏 ”ぼくの満州放浪記”
森田拳次氏 ”ぼくの満引き(満州引き揚げ)物語”
北見けんいち氏 ”記憶の糸をたぐり寄せて”
山内ジョージ氏 ”わが故郷、大連”
横山孝雄氏 ”豆チョロさんの戦争体験記”
高井研一郎氏”上海に生きて”

 私の父と同様、赤塚不二夫氏(天才バカボン)、北見けんいち氏(釣りバカ日誌)、ちばてつや氏(のらり松太郎)らはコロ島から引き揚げてきました。
 この文献の中で赤塚不二夫氏の下記の言葉が印象的でした。
”それで、いろんな人が中国に生まれて日本に引き揚げてきて、そしていろんな職業についてるんだけど、なぜか、自由業みたいな人がすごく多いんだよね。なぜかって言うと、大雑把(おおざっぱ)なんだよ、人間が。でね、あんまりきちきちと物事を考えるタイプの人間って少ないんだよ。「どうでもいいや」「なるようになるさ」”

 私の父も似たところがあり、14歳で第2期満州少年義勇軍の一員として満州に渡り、一度胸を患い帰国し、再度満州に渡り23歳で帰国。引揚後、いろいろな職業につき、昭和36年木材製材・建設業を興し事業家として活躍、平成13年(76歳)に亡くなりました。
 終戦後、ソ連の捕虜となり「セメント運びが最も辛かった」と言ってました。吉林省豊満(ホウマン)発電所へ連れて行かれ発電所建設に従事させられたと言ってましたから、おそらくこの作業のことと思われます。
 下記サイトによるとこの発電所、満州国が建設していたもので当時において東アジア最大規模であったとか。終戦後、この発電所はソ連が接収し、その後中国に返還されています。
南龍瑞著"「満洲国」における豊満水力発電所の建設と戦後の再建"
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Ajia/pdf/2007_05/01.pdf

 30年ほど前、東京で父がそば焼酎を飲んだ際、「満州の味がする」と言って喜んでました。それは当時私が買って一口飲んだところ、臭くて飲めないのでほったらかしにしていたものでした。数年前にそば焼酎を飲みましたら臭みがなく飲みやすくてすっかり変わってました。
 大連で白酒(パイチュウ)を飲んだ際、ふと父のことを思い出しました。おそらく、この強い酒を飲んで寒さに耐えたのかなと。
白酒(パイチュウ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%85%92_%28%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E9%85%92%29
<文献>
中国引揚げ漫画家の会編「ボクの満州」亜紀書房
木島平村戦争体験記編集委員会編「福寿草−私たちの戦争体験記−」木島平村公民館 

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