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2010年06月26日 中国旅行6

 二百三高地から見る旅順港のようす。
 中国に50数回も来ている寺沢氏によると、ここまで見渡せることは珍しいとのこと。ラッキーな一日でした。旅行でお世話になった寺沢氏(不動産鑑定士)に感謝、感謝。

20100626-1.jpg

 日露戦争は、兵士の動員だけでなく、馬・荷車・大麦の徴発もたびたびおこなわれました。
 長野市誌第5巻に「馬の徴発は日露戦争中7回あり、それぞれ指定された場所で馬の徴発検査を受けた。長野市では出頭した61頭中10頭が合格、上水内郡に属した村々からは257頭が出頭し29頭が合格し、1頭につき65〜70円が支払われた。(略)
一人引き荷車は、長野市が出場892両中合格は62両、市域の上水内郡が出場762両中合格は48両であった。(略)
 軍用大麦は、全村から買い上げられた。(略)」とあります。
 この検査でいい馬ばかりが徴発されたため、その後長野県の農業生産に支障をきたしたようです。(同上文献)
 前に文献(出典不明)を読んだ記憶によると、当時の長野県軍用馬は質がよく、重宝がられたそうです。確かに日本における有数の生産地でしたから納得がいきます。

 文献(日露戦争兵器・全戦闘集)に「日露戦争時の騎兵は、※三十年式乗馬具を使用し、陣中における携行品を馬の背に乗せて運搬した。」
※三十年式乗馬具は19世紀に欧米で使われていた軍用乗馬具を国産化したもの
 この携行品には下記のものが入っていました。
 爆弾類(予備爆弾・小型爆発缶)、携帯食料(乾飯・干飯、焼パン)、日用品(歯ブラシ、手ぬぐい、ちり紙)、衣類、靴、馬食糧(1日分大麦4升=7.2リットル)、野戦の際、馬に水を与えるための袋、寝具用の毛布などなど。
 同上文献に「これら一式を装着した軍鞍の重量は50キロを優に越え、馬の背に乗せる時には数名で協力したという。」とありますから、人間だけでなく馬もたいへんな時代だったようです。
<引用文献>
長野市誌第5巻643p,644p
淺川道夫・有坂純・大山格 外11名執筆・監修「図説・日露戦争 兵器・全戦闘集」52p(株)学習研究社発行

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