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2010年07月03日 中国旅行7

 上海万博のようす。
 前日に行った同業者のグループに聞いたところ、日本、アメリカ、イギリス、ドイツなどのパビリオンは3〜4時間待ちと聞いていましたので、当日は短時間で入れる所へ向かいました。
 ウクライナ館は、美人のコンパニオンが多かったですね。喫茶もできて満足、満足。
それに外から見ただけですが、人気の高いサウジアラビアやヨーロッパ各国のデザインに感心しました。
 万博内は主に電気バスで移動。音があまりに小さいので近づいているのに気づかず、ぶつかりそうになったこともありました。中国の運転手さんは運転が荒いですね。

20100703-1.jpg

 ところで上海万博にあわせ、遣唐使が日本から上海へ向かいました。学説に基づき忠実に再現された船だとか。
上海万博:遣唐使船が黄浦江の波止場に
http://mainichi.jp/select/world/news/20100612k0000e030015000c.html
 遣唐使といえば、阿倍仲麻呂や吉備真備(きびのまきび)が有名でしょう。
 特に吉備真備(岡山県倉敷市出身)は、2回遣唐使として中国(唐)に渡っています。
 文献(おもしろ日本史探訪)によると、最初は717年(第8次)に留学生として。2回目は752年(第10次)に文化的目的と東大寺大仏に塗る黄金を取得するため。
 2回目の帰りに持ち帰った土産物(容器・楽器・遊戯具)は、今でも奈良の正倉院(瑠璃・五絃琵琶・双六・碁盤など)に残っています。
宮内庁ホームページ(正倉院)
http://shosoin.kunaicho.go.jp/
倉敷市
http://k-brand.city.kurashiki.okayama.jp/kankou/?itemid=229
 また、同文献によると船は四隻、一行の人数は600人前後でこのうち250人程度は水夫や下級船員で舟をこぐ役目。当時の船は手で漕いでいたようです。
 百科事典ウィキペディアによると航海技術が未熟だったせいもあってか船が破損、遭難したりしてたいへんだったようすが伺えます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A3%E5%94%90%E4%BD%BF
 そのほか、雑役、修理工、陰陽師、通訳、従者、判官、外交官がいて、留学生と僧はせいぜい10数人だったため特に優秀な人が選ばれたようです。(同文献)
 吉備真備はたいへん頭のいい人だったらしく、唐の学者たちの中でも傑出していたそうです。それもあって最初の時は、なかなか帰してもらえず、やっと日本に帰ってきたのが735年でした。17〜18年も異国にいるのですから、うれしかったことでしょう。
<引用文献>
南條範夫著「おもしろ日本史探訪」(遣唐使物語)廣済堂文庫

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