長野県最北部にある栄村で写した粟(あわ)。選別作業をしていた農家のおばあさんの話によるとこれから叩いて実をとるそうです。思わず”これが粟ですか”とつぶやきました。叩く作業がたいへんそう。
この作業の後、”もちあわ”として道の駅や農産物売場で売り出されます。粟は、ごはんに混ぜたり、粟餅になったり、アレルギー代替物(米・小麦)の粟しょうゆとして使われたりしていて、一昔前より使われるようになりました。我が家のようにアレルギーの子供を抱える家庭(三男は小麦粉アレルギー)にとって代替物は、非常にありがたい存在です。
栄村:http://www.vill.sakae.nagano.jp/bussan/bussan.html
長野県に粟がつく地名は、いくつか見られます。
例えば千曲市粟佐(あわさ)、茅野市玉川粟沢、木曽郡南木曽町田立粟畑(ただちあわはた)、田立向粟畑(ただちむかいあわはた)、阿南町富草粟野など。
下記のサイトによると粟の地名は全国各所に見られます。
「粟」地名:http://blogs.yahoo.co.jp/kmr_tds/49463069.html
千曲市に粟狭(あわさ)神社があります。延喜式(えんぎしき・平安時代中期)に記載されているほど古い神社で空洞のケヤキが珍しいことで知られています。
ただ、同じ読み方ですが”さ”の字(佐・狭)が違っています。この”さ”の字違いについて更埴市史は、こう説明しています。
「(略)本居宣長は『古事記伝』に於て、天之狭士神・国之狭士神などの例にとって、狭は志那の切たる言で、その志那は級にて坂路のあるなりともいい、級処なりともいっている。(略)狭は狭土の狭であって、アワザマの意であろうかとしている。あわさはあわざまの意味であって、地形上、小さくせまい中州的なものを読んだ地名ではないかと推測される。」
本居宣長(もとおりのりなが)が何を言っているのかよくわかりませんが、地形的に中州的なものを指しているという意味は理解できました。
粟狭神社のケヤキ(全国巨樹探訪記)
http://www.hitozato-kyoboku.com/awasa.html
粟がついた地名を少し調べてみましたが、どうも食物の粟に由来する地名が多いようです。例えば、滋賀県大津市の粟津神社(木曽義仲終焉の地近く)では、日吉大社山王祭に粟飯の御膳を供えています。
『大津中部エリア神社めぐり』(粟津神社)
http://www.shoai.ne.jp/shiga/chiiki/0808/chiik0808.htm
上一宮大粟神社
http://hkangawa.web.infoseek.co.jp/newpage42.html
そういえば「濡れ手で粟」という有名な言葉があります。下記サイトを見て私はこの語源を勘違いしてました。てっきり粟=泡と思ってました。
語源由来辞典(濡れ手で粟):http://gogen-allguide.com/nu/nuretedeawa.html
粟という字、音読みに”ぞく”と”しょく”があります。
確かに故事・ことわざに滄海の一粟(そうかいのいちぞく)、粟散国(ぞくさんこく)、粟散辺地(ぞくさんち)などがありました。
goo辞書(粟散国):http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/129999/m0u/%E7%B2%9F/
下記サイトによると”大船”の地名由来として大船=粟船として”粟=おお”と読んだことが記されています。
鎌倉市役所(大船):http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kids/jh/kjh221.html
それに、昔、粟が農産物の中心だったことに由来する粟国(あぐに)村のような読み方もありました。
沖縄県粟国村:http://www.vill.aguni.okinawa.jp/modules/tinyd103/
アワという字は、粟=泡=阿波=淡=沫=安房といろいろありますが、地名の粟は、食物の粟を連想してもいいのかもしれません。でもいつ見ても粟という字、栗(くり)と似てます。知人の不動産鑑定士の方も間違えた棚(たな)≒柵(しがらみ)みたいに。
<引用文献>
更埴市編纂委員会「更埴市史第1巻」431p