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2010年11月27日 旧中条村日高から

長野市中条日高の栗林集落付近から。ここから見る北アルプスも気に入っていて。
 この辺の人家は尾根筋の固い所へ、へばりつくように建てられているそうです。

20101127-1.jpg

 善光寺大地震(1847年・マグニチュード7.4)の際、この付近から土砂崩れがありました。崩れた土砂は東西約230m・南北約470mの規模を持ち、約200m下の県道を横切り、市ノ瀬と下五十里(しもいかり)地区の間を流れる土尻川(どじりがわ)の断崖に突き当たって川を16日間せき止め、三段の滝を造りました。そのため字名は三官寺滝と名付けられていて明治初年まで水勢がとどろいたと言われています。(長野県の砂防・西山地名考参照)
 前に仕事で上記県道付近の土地の鑑定を頼まれた際、上記の事実を記載すべきかどうか迷いました。なにしろ260年も前のことですから。
 結局、鑑定評価自体が中止となったので必要ありませんでした。過去に災害があったとはいえ、どこまでさかのぼるのか、いまだに自分自身結論がでていません。
 ただ、地すべり防止区域の指定はありませんが、地すべり危険箇所に指定されていましたから、それは記載する予定でした。地すべりの危険性は潜在的に有しているようです。
 善光寺大地震による信州新町の犀川せき止め(岩倉山の大崩壊)は有名ですが、それ以外の川(裾花川・当信川)もせき止めていました。詳しいことは下記サイトで。
善光寺地震
http://cert.shinshu-u.ac.jp/gp/el/e04a1/class12/class12-3.html

旧中条村には難解な地名がいくつか見られます。
例えば
御山里→みやまさ
日下野→くさかの(くさがの)
乗出合→のじあせ
五十里→いかり
埋橋→うずはし
 この中で五十里の五十を”いか”と読みますが、”いか”と読む地名は他の地区にも見られます。例えば長野市七二会の五十平、同市戸隠栃原の五十里沢、同市戸隠柵の五十土、千曲市の五十里川、栃木県川治温泉近くの五十里湖、佐渡島の五十里川など。
 多くは地すべり、崩落によって生じた地名のようですが千曲市の五十里川は違う意味(更埴市史)でした。
 また、埋橋の埋を”うず”と読みますが、この地名は松本市埋橋1・2丁目、小谷村中土、伊那市などにも見られ、土砂に埋もれた所を指すことが多いようです。
 そういえば私の大好きな作家杉本苑子女史の作品「埋み火」も”うず”と読んでいました。近松門左衛門の生涯を描いたもので非常に心に残る作品でした。
 辞世の二首「」部分、()解説は下記サイト引用
「それぞ辞世さる程にさてもそののちに 残るさくらの花し匂はば」
(私が書いた浄瑠璃の作品が、後々まで残るならば、そのひとつひとつが私の辞世だ)
「残れとは 思ふも愚か 埋み火の 消(け)ぬま仇なる 朽木書(くちきが)きして」
(埋み火が消えずに残るわずかな暇に書いたたわいない作品が、あとあとまで残れと思うだけでも、愚かなことだなぁ)
 上記辞世の歌もすばらしいと思いました。
近松門左衛門と人形浄瑠璃の軌跡
http://homepage2.nifty.com/hay/zisei.html
<引用参考文献>
西沢智孝著「西山地名考」67p
松崎岩夫著「長野県の地名 その由来」信濃古代文化研究所
更埴市史、中条村誌
「長野県の砂防」41p,42p長野県・長野県治水砂防協会
杉本苑子著「埋み火(上)(下)」文春文庫
<参考サイト>
鯖江市:http://www3.city.sabae.fukui.jp/vod/takara/4/exhibit/gozonji/index.html

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