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2011年06月25日 ミカンの木

 長野県高森町月夜平付近(H23.3.28)から見る南アルプス。この辺は長野県南部(飯田地方)にありますが、北部の長野から見る風景と違い、山並みに穏やかさを感じます。
 飯田地方は昔から天竜川による通運が盛んでした。

20110625-1.jpg

 2月頃、静岡の知人と電話で話しているとき、”長野県はみかんをつくっているの?”と聞かれ、”南部の飯田地方では暖かいから造っているかも”と答えました。
 後で調べてみたらゼロに近い数値(統計上)でした。技術面や気候面で静岡、和歌山や愛媛にはかなわないでしょうから当然とも言えます。
みかん(ミカン)収穫量ランキング
http://www.japan-now.com/article/187569818.html
 文献(信州学)によると「天竜川では慶長12年(1607)京都の豪商角倉了以(すみのくらりょうい)による天竜川の浚渫(しゅんせつ)事業とともに舟運が始まる。(略)信州中馬と天竜川通船によって、伊那谷では商品流通が活発であった。その結果、鉄道開通前信州で最も物価が安かったのは、飯田であった(明治13年第3回長野県御業年報)。また江戸時代の信州人は天竜村・南信濃村など下伊那南部地域を除いて、蜜柑や「雑柑」(ざつかん)などの柑橘類を知らなかった。ところが、中馬や天竜川通船によって蜜柑が移入され、飯田の市民は蜜柑類を食べていた。」と説明。
角倉了以(すみのくらりょうい)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%92%E5%80%89%E4%BA%86%E4%BB%A5
 造るのはだめでも飯田地方では昔からミカンを食べていたようです。
ちなみに、ここでいう雑柑(ざつかん)とは、下記サイトによるとハッサクやネーブルといった大きいみかんを指すそうです。色や形の悪いミカンではありませんでした。
雑柑って?
http://www.arida.biz/m_q-a.htm#zakan

 ふと江戸時代、小林一茶の父(病気)が季節外れに”梨を食べたい”と熱望したので一茶が善光寺界隈を1日中探し回ったことを思い出しました。もし、ミカンを知っていたらミカンを食べたがったかもしれません。落語の「千両みかん」のように。
落語「千両みかん」の舞台を歩く
http://ginjo.fc2web.com/52senryomikan/senryomikan.htm
 昔、私の実家にミカンの木が風呂場にありました。育てているというよりほったらかしだったような気もします。それでも実がなっていましたから不思議でした。私が小さい頃、大きくなった青いミカンを取って食べようとしたら固くて。後で知ったのですが、観賞用みかんでした。
 それもあって今、事務所前に鉢植えのミカンの木が置いてあります。なんとか実を成らせようと、毎年置き場所、肥料、土などに工夫を少しこらしています。"桃栗3年柿8年"のことわざを信じて8年待ちましたが、まだ1度も実がなりません。案外、実がならないのがいいのかもしれないと思うようになりました、最近。
<文献>
市川健夫著「信州学-日本の屋根の風土学」226P,227P信毎書籍印刷

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